情熱シアター

菊川穣さん

音楽の力で、
被災地の子どもたちの
"心の復興"を。

一般財団法人エル・システマ ジャパン代表理事 菊川穣 きくかわ・ゆたか

一般財団法人エル・システマ ジャパン
代表理事
菊川穣 きくかわ・ゆたか

1971年兵庫県神戸市生まれ。1995年にロンドン大学ユニバーシティーカレッジ地理学部卒業。翌年、同大学教育研究所政策研究修士課程終了。ユネスコ、ユニセフで、アフリカの事務所に勤務後、2007年から日本ユニセフ協会へ異動。2011年3月より東日本大震災緊急支援本部チーフコーディネーターを務めた後に、2012月に一般社団法人エル・システマ ジャパン代表理事に就任。


このページでは、「困っている誰かの為に、何かしたい」という志をともにする方々の、活動に対する熱い思いをご紹介します。
今回は、子どもオーケストラなど音楽を通じて豊かなコミュニティを創造するエル・システマ ジャパン代表の菊川穣さんにお話をうかがいました。

第1章

ベネズエラで誕生した音楽教育の仕組み「エル・システマ」

「エル・システマ」という名称は、日本ではまだ耳慣れないものかもしれませんが、この言葉は、すでに40年の歴史を持つ子どものための音楽教育制度を指します。
エル・システマが誕生したベネズエラでは貧富の差がとても激しく、ひと握りの裕福な家庭を除いて多くの子どもたちが厳しい環境で育ちます。そうしたコミュニティでは十分な教育の手が回らず、子どもたちは粗雑に扱われてきました。

菊川さん

この状況に手を差し伸べるため、ベネズエラの文化大臣を務めたアブレウ博士(経済学者・音楽家)がスタートさせたのがエル・システマです。
エル・システマの教育メソッドは、ピアラーニング(Peer Learning。"ピア"とは英語で仲間の意)です。学校のクラブ活動を思い浮かべていただくと、分かりやすいかもしれません。クラブ活動には先輩後輩がいて、先輩が後輩を教えますが、エル・システマも、この仕組みです。

本国ベネズエラにおいては、設立当初、先生の数が足りませんでした。ですから、この方式でやらざるを得なかったのです。

菊川さん

ただご自身の子どもの頃を思い出してみてください。先生にはちょっと恥ずかしくて聞けなかったことも、友人や先輩にだったら気軽に聞けたのではないでしょうか?あるいは聞かないまでも、隣で友達がやっていることを見て、自然と学べたこともあるでしょう。実は、それがとても重要です。先生から一方的に教わる"受動的な姿勢"ではなく、自分から学ぼうとする"能動的な姿勢"が引き出されるからです。
もちろん子どもによって、差はあります。言われなくてもできる子はいますし、なかなかうまくいかない子もいます。ですから一概には言えませんが、私が見ている限り、最初は積極的になれなかった子も、やがて自覚が芽生え、後輩たちに教えるようになっていきます。そうやって誰かを教えることができると、自分に自信が持てるようになるのです。

現在、ベネズエラでは40万人の子どもたちが、およそ65億円の国家予算のもとにエル・システマに参加しています。活動拠点もベネズエラ国内だけで300箇所にのぼります。そして、それに共感するように、同様の取り組みが50もの国、地域へと広がってきました。

第2章

被災地の子どもたちの"心の復興"を支援するための挑戦

このエル・システマを日本に導入するまでには、様々な偶然が重なりました。
私は日本ユニセフ協会に所属し、東日本大震災発生以降、被災地支援の仕事に携わっていました。そして福島の復興は岩手、宮城に比べて長期戦になると考えていました。地震、津波に加え、原発事故の問題が根深いと感じたからです。
そのようななか、相馬で開かれた「ふるさと相馬子ども復興会議」にて「復興にかかる年月とは、自分たちが大人になっていく年月だ」と発言した子どものスピーチが、私の心に突き刺さりました。このできごとに触発されて、長期的視野に立った支援として何ができるだろう?と模索しはじめた、ちょうどそんな時です。ベルリン・フィルのメンバーがユニセフ親善大使として、東北でミニコンサートをする機会がありました。そして来日メンバーの一人でホルン奏者のファーガス・マクウィリアム氏が、「エル・システマを知っているか?これこそが東北、そして福島に必要なのではないか?」と語ってきました。彼は出身地スコットランドにてエル・システマを推進する団体の理事を務めており、先進国の子どもにもエル・システマを通した音楽教育が必要だという彼の話は、とても説得力がありました。

ただ、ベネズエラの教育メソッドが日本で定着するものなのか、不安な気持ちもありました。それに「支援者の思いだけで実施された支援は続かない」、というのが私の持論です。地元の人たちの自発的な思いがなければ、どんなに素晴らしい企画であっても定着しない。そこでユニセフ協会の支援活動でも繋がりのあった相馬市教育委員会にエル・システマの話をしたところ、調整には時間がかかりましたが、市として取り組んで行きたいという話になりました。

■ 第1回エル・システマ 子ども音楽祭2015 in 相馬 2015年3月

第1回エル・システマ 子ども音楽祭2015 in 相馬 2015年3月 写真1
第1回エル・システマ 子ども音楽祭2015 in 相馬 2015年3月 写真2
第1回エル・システマ 子ども音楽祭2015 in 相馬 2015年3月 写真3

さらに福島県には音楽教育が盛んな慣習がありました。戦後、県は教育委員会の方針により、小学校にバイオリン器材と教育スタッフを導入したそうです。維持管理費用もかかりますので、活動が自然消滅していった学校もありますが、今でも県内の20余りの公立小学校には弦楽合奏活動が残っています。

なかでも相馬市は、福島県が音楽教育に取り組み始めた初期に、コンクールで優勝した学校もあります。その際は、地元の皆さん総出で、学校へ凱旋する子どもたちをまるで提灯行列のようにして出迎えたそうです。
親も、祖父母も、同じ市内の小学校でバイオリンをやっていたという子もいます。ですから子どもたちのオーケストラを作ることは、地元の人たちにとってある意味待ち続けていた夢でした。

■ ロサンゼルス・ユース・オーケストラ 相馬訪問 特別ミニコンサート 2015年3月

ロサンゼルス・ユース・オーケストラ 相馬訪問 特別ミニコンサート 2015年3月 写真1
ロサンゼルス・ユース・オーケストラ 相馬訪問 特別ミニコンサート 2015年3月 写真2

つまり、私はユニセフの仕事を通じて相馬市と関わり、そこに偶然にもエル・システマの人脈ができた。さらに福島には子どもオーケストラの素地があった。振り返ると、そのどれかが欠けていても成立しなかったのだと思います。
ただ、そうは言っても......です。新しく事業を立ち上げるには活動資金の目処を立てる必要があります。私自身、ユニセフ協会で働きながら、同時にこのプロジェクトを扱うわけにもいかず、家族を養っていくためにも一度冷静になって考えてみる必要がありました。

そんな頃です。ドイツから国際電話がかかってきました。電話の相手は、IPPNW(国際核戦争予防医師会)。秋のベルリン音楽祭で、毎年ベルリン・フィルと一緒にチャリティ・コンサートを実施している、ノーベル平和賞受賞団体でした。「今度、福島県相馬市にエル・システマの子どもオーケストラができるそうだから、チャリティ・コンサートを通じて、あなたたちを支援することに決めました」と。
いや、決めましたって......、作りたいとは思っていますが、まだできてませんと申し上げたところ、「自分たちはできたと聞いた」と。「それに記者会見を通じて発表してしまったし、今さらまだできてないと言われても困る」とまで言われてしまって。いや、困るのはこっちなんですが(笑)、話がいつまでも堂々めぐり。もう仕方なく見切り発車するしかない状況でした。

思わぬところで支援金が入る目処が立ちましたが、コンサートの日程は半年後。入金はそれ以降なので、お金が手元にまったくない状態での活動スタートです。もちろん、幾つかありがたいお話もありました。有名なピアニストのマルタ・アルゲリッチさんは、チャリティCDの売上を寄付してくださいました。しかし、それだけでは賄いきれず、資金はすぐに底をついてしまいました。
さて、どうしたものか。考えあぐねている一方で、私は、ユニセフ協会では宗教団体の担当窓口でしたので、これまでお世話になった方に突然退職することをお詫びしなくてはなりませんでした。
そうして挨拶回りをしていたある日、新たな取り組みに興味を持ち、支援してくださる団体がありました。それが真如苑さんだったのです。

第3章

エル・システマを通じて、コミュニティに活力が甦ることを願って

エル・システマ ジャパンが手掛ける、相馬市内の小学生を対象にした子どもオーケストラの活動は、やがて希望するすべての子どもたちが参加できるようになり、2014年12月現在、未就学児や高校生を含む90名が毎週末、練習に励んでいます。子どもたちの練習をサポートするのは、指導者の立場からバイオリン専門家が2名、補佐役のフェロー19名、さらには現地ボランティアスタッフ4名です。またコーラス部門についても市内小学校の合唱部をベースに、中学校に進学したOB、OGが加わり、こちらも活動がはじまりました。

一方で、被災地の子どもたちが受けたメンタルショックはいまだ測り知れません。しかも震災から4年経った現在の方が、その影響がハッキリと出ています。日々の鬱積からADHD(注意欠如・多動性)症状を持つ子どもが増えているのです。現場はいまだ大変な状況です。
私はエル・システマの音楽活動を通じて、子どもたち一人ひとりが、生きていくための糧となる力を身に付けてほしいと願っています。そして将来の復興を担う人材として社会に貢献する志を持ってほしい。

■ 2014・2015年の週末教室の一部

2014・2015年の末教室の一部 写真1
2014・2015年の末教室の一部 写真2
2014・2015年の末教室の一部 写真3
2014・2015年の末教室の一部 写真4

ある子どもは「自分にとってのふるさとは、みんなといる場所だ」と言いました。被災地では子どもたち同士で"みんなといる場所"が、まだまだ少ないのです。もちろん「みんなといる場所」を作るきっかけは、スポーツや演劇などでもかまわないのですが、ベネズエラのアブレウ博士曰く、「音楽の場合、コミュニティを巻き込める仕組みとして非常に有効である」そうです。地元の子どもたちが唄い、演奏する様子を見聞きすることが、その地に暮らす人々、特に高齢者の皆さんにとっては、大きな心の拠り所となっています。音楽に乗せて、思いが波及していくのです。
それこそが音楽の力です。音楽を通じて時間と場所を共有し、そのなかで共に生きていることを共感する。そのインパクトの大きさを私自身、感じています。

日本の子どもたちは自尊心が欠如する傾向が見られると言われます。どうせ自分はできない、と最初から思い込んでしまいがちなのです。
しかし、先輩後輩といった人間関係のなかで、後輩から少しずつ頼られるようになり、いつしか自分でも誰かを教えることができたという経験はとても貴重です。それは、子どもたち一人ひとりの"生きる力"となるでしょう。

エル・システマが社会に貢献できることはまだまだあります。この仕組みを必要としているすべての子どもたちに、活動の場と機会を提供したい。そうしたニーズは被災地に限らず、日本中にあると思います。

菊川さん

一方で、我々が目指しているのは、単に子どもオーケストラをたくさん生み出すことではありません。音楽活動を通じて、子どもたちの成長を促し、地域全体が活力を得るコミュニティを作っていく。それが、エル・システマの本来の目的です。 人間同士の関わりですから、今後もさまざまな課題が出てくるでしょう。うまくいくこと、いかないこともあるなかで、地元の人たちとの信頼関係を丁寧に築いていくのはなかなか大変なことです。
それでも、期待には最大限に応えていきたい。私は、そう思っています。

<コラム>

日米エル・システマ共同企画
「ドゥダメルと子どもたち 特別リハーサル&コンサート」
2015年3月29日(日曜)開催


ベネズエラのエル・システマにてクラシック音楽を学び、世界的なコンダクターへと成長したグスターボ・ドゥダメル氏。そのドゥダメル氏指揮のもと、ロサンゼルス・ユース・オーケストラの子どもたち15名と、相馬子どもオーケストラ&コーラスのメンバーが、サントリーホールにおいて夢の共演を果たした。 会場となったメインホールは満員御礼。突然の晴れ舞台に子どもたちは驚きつつ、貴重な体験に胸を踊らせた様子だった。

コンサートとしてだけではなく、曲を仕上げるリハーサルも公開する特別な構成のなかで、ドゥダメル氏は、時には旋律を口ずさみ、音楽を通じて気持ちをひとつにすることの楽しさと大切さを伝えた。そのやりとりを通じて、子どもたちの顔がいきいきと輝く様を見ることができた。 また、当日は高円宮妃殿下も出席され、その内容をマスコミ各社がレポートするなど、注目を集めたイベントとなった。

ドゥダメルと子どもたち 特別リハーサル&コンサート 写真1
ドゥダメルと子どもたち 特別リハーサル&コンサート 写真2
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