情熱シアター

富永美保さん

仕事をつくることが、未来を
つくる──
被災地障がい者支援の現場で
感じた"役割"の大切さ。

仕事をつくることが、未来をつくる──被災地障がい者支援の現場で感じた

特定非営利活動法人しんせい 理事・事務局長
富永美保 とみなが・みほ

2011年よりJDF被災地障がい者支援センターふくしまの職員として避難障がい者ための「交流サロンしんせい」を担当。サロンでは福祉サービスにつながらない避難者も受け入れ、幅広い方々が共に活動する場つくりを行ってきた。2013年からはNPO法人しんせいの理事として「企業」×「NGO・NPO」×「避難の続く福祉事業所」の協働の仕事をつくり、魔法のお菓子ぽるぼろんやミシンの学校を立ち上げる。現在は事務局長。


このページでは、「困っている誰かのために、何かしたい」という志をともにする方々の、活動に対する熱い思いをご紹介します。

郡山駅(福島県)からうねめ通りを西へ車で10分ほど走り、太田西ノ内病院に向かって路地を入っていくと、樹木をモチーフとした「しんせい」のロゴマークが目を引く建物が現れます。建物の周りには可愛らしい花々が丁寧に植えられ、入り口にはお菓子や雑貨が並ぶ"小さなお店"が営まれている「NPO法人しんせい」。手作りのぬくもりが詰まった建物内では、この日も障がい者の方々がお菓子や雑貨を作っていらっしゃいました。

樹木をモチーフとした「しんせい」のロゴマーク

今回お話を伺ったのは、NPO法人しんせいの事務局長・富永美保さん。発災時は専業主婦だった富永さんが東日本大震災を機に障がい者支援に乗り出したきっかけや、2013年10月のNPO法人しんせい立ち上げまでの道のり、被災地障がい者支援の現状と課題などについて、スライドを交えながらたっぷりとお話いただきました。

第1章

障がいがある被災者の「居場所づくり」からスタート

──まずはじめに、富永さんとボランティアの関わりについて教えていただけますでしょうか。

富永美保さん(以下、富永):
若い頃からボランティアには興味があって、機会があれば参加していましたが、積極的にボランティア活動に参加するようになったのは、子どもが小学校に入ってからでした。介護保険制度が実施される前の年だったと思いますが、ホームヘルパーの講座を見つけて、受講しに行ったんです。そうしてまずはホームヘルパーのお仕事から始めましたが......「福祉」といっても「高齢者福祉」だけでなく、いろんな種類があるということがわかってきて、「もっと専門的に勉強してみたい」と東北福祉大学通信教育学部に通いました。そこで「障がい者福祉」に目を向けるようになっていったんです。

インタビュー中の富永さん

──そして、2011年3月11日に東日本大震災が起こります。

富永:
当時、私は義母の看取り介護のために福祉の仕事はしていなかったのですが、地震と原発事故の影響で福島が本当に大変な状況になってしまったのを目の当たりにして、「自分もボランティアとして、なにかできないだろうか?」と知人に相談したら、「郡山市に"JDF被災地障がい者支援センターふくしま"という支援団体がある」ということを聞いて、2011年5月の連休明けからそこでボランティアを始めました。

──NPO法人しんせい立ち上げまでの経緯について教えてください。

富永:
郡山市内の避難所が2011年8月31日で閉鎖になって、多くの方が仮設住宅に移られたなかで、福祉サービスを利用できない方の日中活動の場が必要でした。

──それはなぜでしょう?

富永:
強制避難区域から避難されてきた方のなかには、福祉サービスをまったく知らない方もいらっしゃったので、そういった方が親戚や知人のいない避難先で出かける先もなく引きこもりがちになってしまうことが心配されて、私が担当して「交流サロン活動」を行いました。活動を始めた当初(2011年10月)は「3か月くらいで混乱が収束するだろう」と考えて予算を立てていましたが、実際にはまだまだ大変な時期が続きましたので、2012年1月から2016年3月までの5年間、福島県から委託事業をいただきました。

2011年10月サロン活動をスタート
2011年10月サロン活動をスタート
第2章

「交流よりも役割がほしい」利用者の声を受け、NPO法人を設立

──2011年10月からスタートした「交流サロンしんせい」は、どういった活動をされていたのでしょうか?

富永:
みんなで集まってお茶を飲んだり、ヨガ教室などのイベントを行ったりといったサロン活動を1週間に5回やっていました。ところが1年を過ぎるくらいから、来られなくなってしまう方がどんどん増えてきたんです。なぜ来られなくなってしまったのかわからなくて、お一人おひとりにお話を伺ったところ、みなさん「オシャベリするのが疲れてしまった」と......コミュニケーションが苦手な方々なので、サロンではものすごく気を使っていらっしゃったんですね。

──それで「疲れてしまった」のですね。

富永:
そうなんです。サロンに来てオシャベリしたり、みんなでお出かけすることに疲れてしまって、「明日も頑張ってオシャベリしないといけないのが、すごく苦しい」と、みなさんお話されていましたね。それよりも......避難前は、農業だったり親せきのお手伝いだったりと、それぞれが役割を持っていらっしゃったので、「何でもいいから仕事をさせてほしい」と。そういった役割があることで、気持ちが前向きになるだろうと考え、そこから「みんなでできる仕事を探してやっていこう」という方向に変わりました。

──そうして2013年にNPO法人しんせいが立ち上がったのですね。NPO法人しんせいで初めて作った商品は何ですか?

富永:
「つながりのかばん」ですね。当時は本当にお金がなくて、 仕事といっても何をやっていいのかわからなくて......周りに あるのは使用済みの封筒ばかりだったんです(笑)。それで、封筒を貼り合わせてかばんを作りました。双葉郡から避難して来られたみなさんとスタートしたので、「ふたば」の 意味で「28」と書いたのですが、本当に封筒を貼り合わせただけだったので耐久性がなく、「雨に濡れたらすぐにボロボロになっちゃった」というご意見もあったため、ロウ引きをして撥水効果を持たせました。ロウ引きのためのロウソクも、ブライダルで使ったものを送っていただいて......本当にたくさんの方に支えていただいた「つながりのかばん」からのスタートでしたね。

「つながりのかばん」
「つながりのかばん」
第3章

仕事を求めて~福祉事業所の協働プロジェクトが発足

──「つながりのかばん」のほかに、どんなお仕事を行っていったのでしょう?

富永:
それが......当時は本当に仕事がなかったので、障がい者のみなさんに毎日来ていただいても、やっていただく仕事もなければ、払える工賃もないような状況でした。都会の大きな企業さんから、一週間くらいの期限で何百・何千という数のお仕事をご依頼いただくこともあったのですが、少ない人数でやっている私たちがこなせる数量・納期ではなかったんですね。そういった「仕事がほしいのに、仕事を泣く泣く断らざるを得ない」といった状況が、しんせいだけでなく、どの福祉事業所さんにもありました。それで、「福祉事業所で連携して仕事を分けあうことができれば、大きな数の仕事もできるんじゃないか?」という機運が高まり、福島協働プロジェクトが生まれました。

──ひとつの大きな仕事を福祉事業所さんたちが協働で請け負うということですね?

富永:
はい。企業や団体からの支援も受けながら、お菓子や布・紙で商品づくりを行いました。協働の輪は福祉事業所だけではなく、市民×企業×NGO/NPOといった社会のさまざまな立場の方が参加する大きなものとなり、現在も有機的なネットワークとして活発に機能しています。

2013年「お菓子」のプロジェクト
2013年「お菓子」のプロジェクト
2015年「ミシン」のプロジェクト
2015年「ミシン」のプロジェクト

──布・紙で作る商品は、どんな視点を大切にしていますか?

富永:
企業や個人のみなさんからいただいた、いらない紙や布を加工して使うといった、エシカルな視点でもの作りをしています。例えば、ジーンズで有名な岡山県倉敷市にある高校の生徒さんたちが、デッドストックになっているような生地を集めて、年に数回送ってくださるんですね。その生地を使って作った製品をまたお送りすると、倉敷の朝市や高校の文化祭で売ってくださったりして......そういったつながりのなかで、少しずつ仕事ができるようになってきましたね。

デッドストックの生地から生まれたブックカバー
デッドストックの生地から生まれたブックカバー
第4章

障がい者を孤立させないために~地域住民との接点を作る

──福島県からの委託事業(福島県障がい者自立支援拠点整備業務)が終了した2016年3月以降からは、どんな状況でしょうか?

富永:
強制避難区域の避難解除によって県外に避難されていた方の帰還が始まり、復興公営住宅には色々な町村の方が入居されました。しんせいの利用者さんたちも新しい環境に馴染めず、孤立が心配されました。しんせいに来ていただいている間は私たちで支援できますが、家で過ごす時間のほうが長く、地域住民の理解が必要なことに気がつきました。

障がいがある人の活躍できる場を創造
障がいがある人の活躍できる場を創造

──地域住民の理解を得るために、どのような工夫をしましたか?

誰ひとり置き去りにしない福島を目指して

富永:
復興公営住宅を訪問して、積極的に地域住民と交流する機会を作りました。しんせいの利用者さんのなかには、お菓子作りやミシン作業は苦手でも、人との交流ではイキイキと活躍される方もいらっしゃるんですね。そういった方と一緒に行くことで、地域住民のみなさんの参加率もどんどん上がって、本当に良い効果が生まれています。

──障がい者のみなさんが孤立しないためにも、地域の方々や避難住民の方々とのつながりが必要なのですね。

富永:
そうですね。避難生活の続く障がい者が地域で安心して暮らしていくためには、避難住民の理解が必要です。さらには、そこで暮らす地域住民も輪の中に入っていただく必要があると感じています。ふるさと帰還がどんどん進められているなか、避難を続けていかざるを得ない弱い立場の方が残っています。そうした方々が今後、避難地に定着していくための支援が非常に重要になっていく時期かなあと感じています。帰還者には行政の予算がつきますが、避難者にはなかなかつかないような状況なので、民間団体やNPOなど、いろんな方のご支援やお力をお借りしながら、これから長い月日がかかるとは思いますが、やっていかなければならないと感じています。

──被災地障がい者支援にはまだまだたくさんの課題があるとは思いますが、富永さんが個人的にチャレンジしてみたいことなどはありますでしょうか?

富永:
SDGs(※)と少し関連しているのかもしれませんが、私たちがいま抱えている課題と、世界的に抱えている課題というのは、実は同じようなものではないかと思うんです。ですから、しんせいのような本当に小さなNPOの活動であったとしても、世界的な視野が必要になってくるのではないかなあと......機会があったら海外に行って勉強してみたいという気持ちもありますね。私たちのような活動は、北欧が先進的だといわれているので、どんな風に障がいのある方と地域づくりをされているか、学んでみたいです。

SDGs 推進副本部長(内閣官房長官)賞

※SDGs:世界が直面する様々な困難に対し、すべての国々、企業、人々が力を合わせて課題解決に取り組もうと、国連で採択された17の持続可能な開発目標(SDGs)。2017年12月26日、第1回ジャパンSDGsアワードで、しんせいの活動が「SDGs副本部長(内閣官房長官賞)」に選ばれました。

いつも笑顔の富永さん

おっとりとした雰囲気の富永さんですが、その行動力やバイタリティはどこから湧き出てくるのでしょうか? 原動力について伺うと、「なんだろうなあ?」としばらく考えたのち、「やっぱり、すごく楽しいんです。利用者のみなさんと作業しているときが、いちばん楽しいですね」と笑顔で答えてくださいました。

取材中も調理場ではお菓子を作る方々が、作業場では雑貨を縫製する方々が黙々と作業をされています。「これは何を作っているのですか?」と伺うと、イキイキとした表情でご自身のお仕事について説明してくださる姿に、しんせいが掲げる行動指針のひとつ「私たちは多様な方々と力を合わせ、誰もが力を発揮する社会を目指します」がしっかりと根付いていることを実感しました。

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