情熱シアター

頼政良太さん

足湯活動草創期から
災害ボランティアの第一線に
身をおいて。

被災地NGO恊働センター代表 頼政良太 よりまさ・りょうた

被災地NGO恊働センター代表
頼政 良太 よりまさ・りょうた

1988年広島県広島市生まれ。2007年、神戸大学入学と同時に中越・KOBE足湯隊(現:KOBE足湯隊/事務局:被災地NGO恊働センター)として災害ボランティア活動を始める。同年7月より2009年3月まで中越・KOBE足湯隊代表を務める。その後、中越沖地震、兵庫県佐用町水害、新燃岳噴火災害、東日本大震災など計15以上の国内の災害救援活動に従事。2011年4月より被災地NGO恊働センタースタッフ。2015年5月より同代表。


このページでは、「困っている誰かの為に、何かしたい」という志をともにする方々の、活動に対する熱い思いをご紹介します。今回は、神戸大学在籍時から足湯を中心としたボランティア活動に取り組み、第一線で活躍する被災地NGO恊働センター代表の頼政良太さんに、ボランティアにかける思い、そして足湯活動の現状と課題についてお話をうかがいました。

山陽新幹線が停車する新神戸駅から神戸市営地下鉄に乗り換えて、湊川公園駅で下車。昔ながらの商店街や住宅街が広がる兵庫区中道通の一角に被災地NGO恊働センターの事務所があります。ボランティア元年と呼ばれた阪神淡路大震災の震源から近い場所に位置するこちらの事務所は、年季の入った木造平屋の建物で、かつては飲食店としてにぎわっていたそうです。

今回お話をうかがったのは、2015年に被災地NGO恊働センターの代表に就任した頼政良太さん。
28歳(取材当時)というボランティア界では比較的若い年齢で代表を務めておられる頼政さんは、終始穏やかな口調でお話をきかせてくださいました。

第1章

神戸大学学生震災救援隊として能登半島地震の被災地へ

──本日はよろしくお願いします。まずはじめに、頼政さんがボランティアに関わるようになった経緯から教えていただけますでしょうか?

頼政(よりまさ)さん(以下、頼政):
はい。当時通い始めた神戸大学に学生ボランティアサークルがあり、その新入生歓迎会にたまたま誘われ、タダでご飯が食べられるなら行ってみようかなと思い、参加したのがきっかけです(笑)。
阪神淡路大震災でボランティアをしたメンバーで結成された「神戸大学学生震災救援隊」というサークルなのですが、震災の後も何年も活動を続けていたみたいです。

頼政良太さん

──たしか、ご入学されたのは2007年ですよね。

頼政:
そうです。ですから入学当時は阪神淡路大震災から数えて13年目になります。
私がサークルに入ったときは、登録人数が60人くらいでした。毎週のように来る人もいれば、年1回のペースの人もいます。
毎日のように活動していた学生は、15〜20人といったところでしょうか。

──はじめはサークル活動をどんな風に捉えていましたか?

頼政:
じつは私が入学する直前、2007年3月25日に能登半島で大きな地震が起きたんですね。(平成19年(2007年)能登半島地震)先輩たちは現地に赴き、実際にボランティア活動をしていました。足湯をやっていたのです。
私がサークルの歓迎会に行った翌日、現地に行った先輩の活動報告会が開催されるということで、「時間があるなら来てみないか」と誘われました。報告会は、足湯ボランティアでこんな話が聞けました、という内容だったのですが......。周りは、すごくいいねという反応でしたが、私としてはイマイチよく分からなかったんです。そもそも足湯が何なのか分からなかったですし、災害ボランティア自体もよく分かっていなかったのです。
きっと、ボランティアというのは自分でやらないと実際のところが分からないだろうなと思ったんです。

──それで、とにかくやってみようと思ったんですね。

頼政:
はい。大学に入りたてで、いろいろ挑戦してみようと思っていました。ところが実際に現地に行くと、災害の酷さを目の当たりにして、スケール感が違うことを思い知らされました。報道で知ることとは感じ方が異なり、衝撃が走ったことを覚えています。

──具体的に足湯活動をされて、どう感じましたか?

頼政良太さん

頼政:
最初はすごく緊張しましたが、ボランティアに行った先の皆さんのほうが温かく受け入れてくれたような気がします。「神戸に孫ができたみたいだ」と言われ、名前を覚えてくださってたり。そこから一度や二度ではなく、何度も通いたいと思うようになって、活動を続けていきました。

第2章

足湯活動が生まれた経緯、傾聴ボランティアへの発展

──ところで、足湯活動はいつ頃から行われてきたのでしょう?

地域での足湯 (広島土砂災害)
地域での足湯 (広島土砂災害)

頼政:
足湯は東洋医学療法のひとつです。ボランティアとしては、阪神淡路大震災をきっかけにはじまったそうです。1月の寒さに凍えるなかで、水も出ないし、お風呂も入れない。そんな状況で足湯をやれば、足だけでも温かくていいんじゃないかと。非常にシンプルな発想からスタートしたと聞いています。

被災地での青空足湯 (愛知岡崎水害)
被災地での青空足湯
(愛知岡崎水害)

──足湯活動を続けてきたことで、何か気付いたことはありますか?

頼政:
中越地震の時、ボランティアスタッフが入れ替わる際に、この人はこんな話をしていたと申し送りを残していたんです。その記録を見返していくなかで、ここから大事なことが読み取れるんじゃないか、と気づきました。そして、能登地震の時から出会った方とお話ししたことをきちんと残すようになったのです。

──頼政さんは足湯活動が傾聴ボランティアとしての意味合いを深めていった草創期から現場で携わってきたわけですね。

頼政:
ええ。でも当時はまだマイナーな活動でしたので、受け入れられずに苦労したこともありました。避難所やボランティアセンターに行っても、足湯が何なのかピンときていただけないんです。「今、水害で泥が出て大変な時期に、足湯だなんて、何なんだ!」みたいに言われてしまったり。なかなか理解されないなかでも少しずつ実績を重ねていき、2011年の東日本大震災で一気に裾野が広がりました。

足湯と手のマッサージの手順が描かれたパンフレット
足湯と手のマッサージの手順が描かれた
パンフレット

──今日では足湯活動は傾聴ボランティアとして注目されていますよね。なぜポロリと本音が出るのでしょうか?

頼政:
やはりお湯の力があるのだと思います。足だけでも温かなお湯に浸かり、全身がリラックスすると、気持ちもリラックスしてきますから。足湯につかっている間、手を取り揉みほぐしています。そうしていくうちに、だんだんと緊張がほぐれ心の距離まで近く感じられるのかな、と。普通に「何か困ってませんか?」と尋ねるよりも、いいのだと思います。
それに私たちはあくまでボランティア。当事者同士では言いづらいことも、全く知らない他人だからこそ言えることがあるのではないでしょうか。

『足湯のつぶやきガイドブック』を制作
『足湯のつぶやきガイドブック』を制作

──逆に足湯活動で、今後やっていきたい課題のようなものはありますか?

頼政:
聴いた内容をきちんと専門スタッフに繋げられていないケースが、まだまだあります。口に出して話をしていただくことだけでも効果は期待できますが、さらに一歩進んで、たとえば被災して、環境の変化にストレスを抱える方を足湯の現場で見つけられたり。そんなことだって実際にはあり得るのです。
きちんと医療チームに繋げていくためにも、専門職の方々と連携を深め、足湯に対して理解を深めてもらう働きかけをする必要があるでしょう。
またボランティア個人が必要以上に負担を感じないように、ボランティアサイドのケアも考えなければいけません。

第3章

東日本大震災以降、仕事として災害ボランティアに携わるようになって

──頼政さんが所属している被災地NGO恊働センターへは、どういう経緯で入られたのですか?

頼政:
そうですね、大学3年生ぐらいになると、将来のことを考え始めます。災害ボランティアをやっていると、NPO団体の皆さんがさまざまな形で、現場で活躍していることが分かってきました。そこで自分もこの道に進みたいと考えるようになったんです。

──なにかきっかけとなったエピソードがあったのでしょうか?

頼政:
これといったきっかけがあったわけではありませんが、私自身、NPOの存在が必要だなと思ったんですね。
災害をきっかけにした課題や問題が山積みのなかで、それらを何とかしたかった思いがあります。でも他に仕事をしながらボランティアとして現地に通って、こなせる範囲ではないと感じたんです。根本的に解決するためには、仕事としてしっかり携わったほうが貢献できると考えました。

荒れた森の整備 (兵庫佐用町水害)
荒れた森の整備
(兵庫佐用町水害)
災害ボランティアセンターでの会議の様子 (熊本地震)
災害ボランティアセンターでの会議の様子
(熊本地震)

──2011年にスタッフになられて5年が経ちましたが、当初と今では何かお気持ちの変化はありましたか?

頼政良太さん

頼政:
目の前の被災者が、今、何らかの問題を抱えているとして、その問題に対する解決策がはじめのうちは自分の中で少なかったと思います。ところが5年も経つと、さまざまな方と出会うことで繋がりもできましたし、あの時はああやって上手くいったという成功例も経験するようになりました。
今では、パッと提示できる方策が徐々に増えてきたなと思います。まだ十分ではないのですが、東日本大震災直後の状況から考えると、成長できているな、と。

──頼政さんは、ボランティアの現場で、どのようなことを心がけていますか?

仕事場風景

頼政:
同じケースはひとつとしてありませんから、過去の成功例をどう柔軟に役立てていくかを常に意識しています。「あの時、こうだったから」とこだわりすぎると、上手くいかない時もあります。現場ごとに、その場に集まった皆さんの力を信じて、新たに解決の糸口を見つけていくことも、一方では大事だと思っています。

──最後に、頼政さんご自身が課題としていることを教えてください。

頼政良太さん仕事場風景

頼政:
災害直後は、ボランティアがたくさん集まるようになりましたよね。泥掻き、瓦礫の撤去では、人材が潤沢に集まるようになりました。ところが、それが落ち着いてくると、ボランティアが途端にいなくなってしまう状況があります。
"ボランティア=力仕事"というイメージが強く付きすぎてしまい、それ以外の分野でのボランティア活動に陽の目が当たらない。ボランティアの皆さんが活躍できる場は他にもあるのに、それができていないんです。
災害の規模にもよるかもしれませんが、現実問題として今現在、東北各地に残っている団体は数を減らしてきています。ボランティアセンターが閉まると同時に、ボランティアが被災地から引き上げてしまう。復興期のボランティア現場には人が足りないことが多い。

──ボランティアには様々なカタチがありますよね。

頼政:
泥掻き、瓦礫撤去作業も、やりがいがある仕事ですし、達成感もあります。ただし、もっと多彩な活動をする人たちがいることがベターです。そのことは"災害に強い街づくり"にも繋がってくる。多様なボランティアの在り方が、これからは大事になると思ってます。


頼政良太さん

頼政さんは神戸大学で数学を学んだそうですが、災害ボランティアに携わるなかで、この道に進みたいと強く思ったそうです。ご両親と同じ世代がボランティアの第一線で活躍するなか、そうした方々と肩を並べる形で、頼政さんは被災地NGO恊働センターの代表を務めています。終始、温和な表情を崩さず、やさしい語り口が印象的でしたが、頼政さんの言葉からはボランティアに対する強い思いが伝わってきました。
「困っている誰かの為に、何かしたい」という気持ちは、世代を超えて脈々と受け継がれているのです。

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