第9回 和楽器ユニット 響喜

和楽器の草の根運動。そして、東北各地の郷土芸能を通じた心の交流。和楽器ユニット 響喜(ひびき)唄・津軽三味線・篠笛・箏・和太鼓・舞踊からなる女性のみの和楽器ユニット。民謡・祭囃子、邦楽古典曲から、歌謡曲、オリジナルまで、あらゆるジャンルを響喜流のアレンジで「こだわりの和のエンターテインメント」に仕立てている。ライブハウスやカフェなどでも演奏し、和楽器と縁がない人たちにも和の音色を伝えようと「草の根運動」を展開中。唄・津軽三味線 万響(まゆら) 写真左、舞踊・鳴物 踊り子ゆっこ 写真右

このページでは、「困っている誰かの為に、何かしたい」という志をともにする方々の、活動に対する熱い思いをご紹介します。 今回は、津軽三味線・津軽手踊りなど東北の郷土芸能との関わりがとても深く、2011年の東日本大震災後は、東北民謡を中心にしたレパートリーにこれまで以上に力を入れている和楽器ユニット「響喜」から、万響(まゆら)さんと、踊り子ゆっこさんに話をうかがいました。

和楽器ユニット 響喜

大阪の下町風情が色濃く残る、京阪電鉄千林駅周辺。その千林駅から徒歩4分の距離にある町家カフェ&サロンゆるりで、今回は響喜のおふたりとお会いすることができました。この場所は、響喜が以前にコンサートを開いた場所でもあり、週末はカフェとしても一般に開放されているスペース。古民家を演出したほっとできる空間が、和装を上品に着こなすおふたりをとてもよく引き立てていました。

第1章 好きな気持ち、憧れる気持ちは誰にも止められない

─本日はどうぞよろしくお願いします。はじめに和楽器ユニットとは、とても珍しいと思うのですが、どういう経緯で結成されたんですか?

万響(まゆら)さん

万響(まゆら)さん(以下、万響):
じつは響喜の活動歴は長く、私が学生時代に、同級生や後輩と一緒に立ち上げたものです。大学では音楽を専攻していて、しかも民族音楽のゼミにいたので、いろいろな楽器をやっている人たちが周囲にいました。
三味線と唄を私が担当、ほかに篠笛、太鼓と、3人のメンバーで2001年から活動をスタートしました。でも、その頃はまだ、ゆっこは参加していなくて。

─踊り子ゆっこさんは、どういう経緯でメンバー入りされたのでしょう?

踊り子ゆっこさん(以下、ゆっこ):
たまたま共通の友人が引き合わせてくれて。私は京都の大学で、彼女(万響さん)たちは神戸の大学でしたから、お互いに知り合うはずもなかったのですが、津軽三味線を弾く人がいるよ、と紹介されて。
その頃、私は津軽民謡の踊りを覚えたてだったんです。でも周囲に、津軽三味線を弾ける人が見つからなくて・・・。普通、津軽の民謡って、唄い手がいて、三味線がいて、太鼓がいる。ですから少なくとも3人の地方(じかた)が必要です。ところが万響ひとりで三味線と唄をやってくれるから「あっ、オ・ト・ク」って。そうやってはじめは私の舞台演奏を万響に手伝ってもらっていたのですが、そのうちに今度は私が響喜の活動に呼ばれるようになって。2008年には正式にメンバーに加えてもらいました。

─響喜のステージでは、和楽器でいろんなジャンルの曲を演奏するとうかがいました。

踊り子ゆっこさん

ゆっこ:
津軽民謡もやりますが(笑)、和楽器なのに、耳馴染みのいいポップスや歌謡曲なんかもアレンジして演奏しています。「そういうんでも、エエんか」という感じで、和楽器といっても、いろんな楽しみ方をしていいと思うんです。

万響:
「和楽器って難しそう」「古典音楽なんて眠たいんとちゃうん?」
とか思われがちですよね。だからこそ敢えていろんな場に出て行って演奏しています。私たちは和楽器の草の根運動をしているという認識です。ちょっとずつでも、和楽器の音色に興味を持ってくれる機会が作れたら、そして和楽器って面白いねって思ってくれたらいいなって。

─そもそも、おふたりはなぜ邦楽(日本の伝統的な音楽)に興味を持ち始めたのですか?

万響:
私の場合、津軽三味線との出合いは、コンサートでした。クラシックオーケストラによる映画音楽のコンサートだったんですが、そこで一曲だけ、ゲスト出演という形で津軽三味線の演奏があったんです。それではじめて津軽三味線という存在自体を知り、「私がやりたいのはこれに違いない!」と思ったんですね。
でも当時は大阪で津軽三味線なんて習えるわけがないやろと、周りからは軽くあしらわれていました。それでも気持ちが途絶えることはなく、地元のカルチャーセンターのカリキュラムに津軽三味線の講座を見つけ、そこで楽器を習い始めたのがきっかけです。

ゆっこ:
私の場合は、大学の先輩からのスカウト(笑)。学内に和太鼓のサークルがあって、ちょうど踊り子を探していたんです。私、太鼓にはまったく興味なかったんですが、踊りはまあまあ好き。それで練習を見に行って驚きました。「こんなんあるんや。けっこう激しいやん」って。その楽曲とは、岩手県に数多く踊り継がれている神楽舞の一つで、中野七頭舞(なかのななずまい)という神楽でした。
練習を進めるうちに、先輩から習うには飽き足らず、せっかく地元があるんだから本場で習おうという話になりました。それで保存会にかけ合って、講習を受けられることになるのですが、そこでまたビックリ。これまで自分がお稽古してきたものとぜんぜん違うんです。そうやって本場の師匠に出会うと、もっと本物に近づきたいと思うようになり、また本物への尊敬の念も芽生えはじめます。それからはもう夢中になって、のめり込みました。

万響(まゆら)さんと、踊り子ゆっこさん

─先輩の教えと本場での教えは、何が違うのでしょう?

ゆっこ:
"匂い"ですね。郷土芸能が独特なのは、どの郷土芸能にもその土地独特の匂い立つものがあります。それは、どんなに練習しても近づけないんです。その匂いを纏うには、そこで生まれ育たないといけない。でも憧れる気持ちは誰にも止められないじゃないですか。
私、この郷土芸能が好きです。カッコいいと思っています。素敵だと思うから、真似したい。でも、できない。だから憧れてます。そんな気持ちで踊っているんです。他所者という立ち位置はハッキリさせて「でも、好きだから踊らせてください」と。そして「こんなカッコいい芸能があるんですよ
と、皆さんに伝えたいんです。

第2章 暮らしのなかで、生きる糧となる芸能

─東北の被災地での支援公演がついに実現しましたね。

ゆっこ:
先ほど話に出た中野七頭舞の神楽が受け継がれる岩手県下閉伊郡岩泉町小本とは、まさに三陸沿岸地域であり、甚大な津波被害を受けた地域です。ほかにも私にとっては、さまざまな地域で踊りの指導を受けてきた経緯もあり「私たちがお世話になった東北の皆さんの力になりたい」と言い続けてきて、今回ご縁があったんですね。でも地元に行って演奏するのは、いつもとは違う緊張感がありました。

万響(まゆら)さんと、踊り子ゆっこさん

─実際に舞台に立ってみて、いかがでしたか?

万響:
「なんて優しい人たちなんだろう。」それが正直な感想です。私なんか、師匠が東北にいるわけでもなく、まったくの他所者で「こんなの偽物じゃないの?」って言われてもしょうがないなと思っていたんです。でも、すごく温かく迎え入れてくださり、逆に元気をもらったというか。

ゆっこ:
私たちにとっては本場に殴りこみに行くじゃないですけれども(笑)、もちろんそんな気持ちは微塵もありませんが(笑)、そうは言っても普段から身近に本物を見聴きしている人たちじゃないですか。そんな皆さんの前で、東北民謡をやるのはどうなのかなって。いざ公演すると決まった時には、どんな舞台にすれば喜んでもらえるのだろう? と考えました。
本番はちょうどお正月の時期だったので、少しでも華やかな気持ちになってもらいたいと、めでたいもの、笑える楽曲を選んで。それと同時に、大阪から来たことも分かってもらえるように......。

─大阪から来た、ということをどんな演目で表現されたんですか?

万響:
ひとつは「河内音頭(かわちおんど)」です。その時は、観客の皆さんにも鳴物を渡して、お囃子で参加してもらったり。それから私は上方唄のお稽古もしているんですが、ちょうど当時のNHKの朝ドラ「あさが来た」で、ヒロインのだんなさん役が上方唄を演奏するシーンが話題になっていたりもしたので、その曲もやりました。

ゆっこ:
「浪花の四季」という曲やったね。春・夏・秋・冬と歌が4番まであって、それぞれ最後の節にちょっとしたセリフの部分があるんです。それを観客の皆さんに担当してもらうために、歌詞カードを配って、練習して。「はい、やってやー」って。
もうノリのいいこと。手拍子もすぐにしてくださる。東北の方はシャイなイメージがありましたが、そんなことはありません。前奏で「あっ、あの唄だ」って分かる感じで、鼻歌を歌い始めちゃったり(笑)。でも、そうやって参加して、楽しんでもらえたのは、私からすると少しでも恩返しができたのかなって。

東北での公演の様子

─それは、何に対しての恩返しなのでしょう?

ゆっこ:
郷土芸能を守り、今日まで伝承してくださったことへの感謝というか。冬の厳しい環境がそうさせるのか、それとも豪雪が物理的に地域の結束を強くさせるのか、東北には暮らしの身近なところに芸能があり、それが生きる活力にもなっているのでは、と感じさせられることがあるんです。そういった芸能は五穀豊穣を祈ったり、田んぼの虫追いの行事やったり、踊りは特別なものではなく暮らしの中で、人々の日常を彩ってきました。現代ではその意味合いも変化していますが、それでも芸能を愛している人たちが現地でしっかりと守り抜いてくださったからこそ、私は数多くの生きた郷土芸能に出合いました。その芸能を、今度は東北の皆さんの前で披露することもできました。「ホンマ、ありがとうございます」という思いです。

第3章 音楽を信じて、皆んなの心をひとつに

─響喜がカバーする「満月の夕(まんげつのゆうべ)」のエピソードを聞かせてください。

万響:
「満月の夕」という曲は、阪神淡路大震災の時に作られた曲です。様々なアーティストがカバーしている曲で、東日本大震災後は、神戸から東北へと歌い継がれています。

万響(まゆら)さんと、踊り子ゆっこさん

ゆっこ:
阪神淡路大震災が起きた時、ちょうど満月が浮かんでいたんですね。次の満月の日に大きな余震が来るという噂が広まって、満月を見るのが怖い、そんな風に思う人が当時は大勢いたそうです。それを歌詞では大丈夫だよって。
「満月の夕」は、万響が好きな曲ということもあるんですが、震災の公演の時には響喜のレパートリーとしても唄っていきたいという思いがあります。思い出さずにはいられない、あの日のことを......って。

万響:
音楽でいったい何が出来るのか、特に東日本大震災直後は自粛ムードもあったりして、多くのミュージシャンが音楽をやることの意味について考えたと思います。私自身は、音楽そのものに特別な力があるものではないと思っています。それでも「満月の夕」を作った「ソウル・フラワー・ユニオン」の中川敬さんの評伝を読み、彼の姿勢に共感できる部分があって。

万響(まゆら)さん

中川さんは阪神淡路大震災発災直後から200回以上の慰問ライブを開いたそうです。でも彼曰く「怒られてもええとも思ってるねん。泣いたり落ち込んだりすることより、今は笑ったり怒ったりすることの方が大事」って。ホンマ、そうやなって。
さも、良いことをしてるみたいな感じで行くのはアカン。それでも行って、音楽を聴いてもらって、少しでも気持ちが発散できるきっかけになればいいんです。

─またチャンスがあれば、東北へ公演に行きますか?

ゆっこ:
行きたいですね。先日は大槌町と陸前高田に行かせていただきましたが、被災地は他にもたくさんあります。それに、どの場所も復興と呼べるには程遠く、やっと瓦礫が取り除かれたレベルなのかなって。そこにかつてあった暮らしを取り戻すまでには、まだまだ道のりは遠いと思っています。

踊り子ゆっこさん

万響:
被災地への支援っていろいろなやり方があると思います。災害が起きた直後だけが支援ではありません。それに、もしかしたら今こそエンターテイメントが必要とされているのかもしれません。

ゆっこ:
確かに、震災直後に大黒様の格好で飴撒きしても、誰も笑ってくれなかったでしょう。万響が言うように、音楽単体では何もできないのかもしれない。それでも、私は音楽によって人々が心をひとつにした時の力を信じたいです。
それにもうひとつ。郷土芸能なんて古臭いものと思われがちですが、こんなにもポップで、カッコよくて、心が高揚するものなんです。子どもの頃、盆踊りで聴いた太鼓の音にドキドキしませんでしたか? それを思い出して見ようよって。それが、私たち日本人が等しく共有しているDNAなのですから。


万響(まゆら)さんと、踊り子ゆっこさん

丁寧に言葉を紡いでインタビューに応える万響さんと、思いのままに情景を伝えてくれるゆっこさん。
一見、対照的なおふたりですが、ともに尊敬し合い、何よりも東北の郷土芸能を愛していることがよく分かりました。

津軽三味線の個性豊かな音色に虜になり、東北各地の地元に何度も足を運んで師匠に踊りの稽古をつけてもらったことが、今、こうして被災地支援活動につながっているのだと思います。
素晴らしい郷土芸能に出会えたこと、そして、その芸能を通じてたくさんの人たちに出会えたこと、その感謝の気持ちを、響喜は舞台を通じて表現しているのです。

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