情熱シアター

栗田暢之さん(前編)

がれき、泥掻きの向こうの
被災者の「声」に耳を傾ける。

レスキューストックヤード代表 栗田暢之

レスキューストックヤード代表
栗田 暢之 くりた・のぶゆき

2002年、特定非営利活動法人 レスキューストックヤード設立。現在、レスキューストックヤード代表理事、震災がつなぐ全国ネットワーク代表、東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN) 代表世話人、愛知県被災者支援センター長。京都大学防災研究所、名古屋大学大学院などの非常勤講師も務める。


SeRVの活動を通じて、様々な方との出会いがあります。
出会いから、さらなる絆が生まれ、また新たなつながりができていきます。
このページでは、「困っている誰かの為に、何かしたい」という志をともにする方々の、
活動に対する熱い思いをご紹介します。
今回は、レスキューストックヤード代表の栗田暢之さんにお話をうかがいました。

第1章

レスキューストックヤードのあゆみ

レスキューストックヤード10年のあゆみ

私たちの活動は大きく分けて二本の柱があります。まずひとつ目は、災害が起こった時に現場に駆けつけて、さまざまな状況を把握し被災者の支援を行うこと、そしてふたつ目は災害現場で学んだことを活かして防災に活用していくことです。

せっかく現場に行って学んだことがいっぱいあるのだから、それを地元や家庭に持ち帰って還元していくことが重要です。被災地で壮絶な体験を聞くと、事前の備えで少しでも被害を小さくできたらと心から思います。例えば、東日本大震災では津波はここまで来ないだろうと思って逃げ遅れ、犠牲になった人も多い。そういった課題を、次に起こるかもしれない災害に当てはめて対策を立ててみることが大切なのです。

栗田さん

子どもを亡くした親御さんとの出会いは、災害現場でも最も辛いものです。阪神淡路大震災で5歳の娘を亡くされた親御さんは、10年たってやっと書くことができた手紙に、「ごめんねごめんね、家具の転倒防止器具をつけておけば命を失うことはなかったのに」......と悔やむ気持ちを記していました。「こうしておけば子どもの命を失わずにすんだ」という後悔をしないように、こうして悲しむ人をできるだけ減らすためにも、私たちはボランティア経験を通じて知り得た災害についての備えや知識を広く伝えていかなくてはならないと思っています。

レスキューストックヤードが行っている重要な支援として、被災地への活動資器材の送達があります。2000年の東海豪雨のとき、ボランティア約2万人が集まりましたが資器材のストックが全くありませんでした。そこで名古屋の青年会議所がスコップを約1万本購入し、名古屋市に寄贈してくれました。これがボランティア2万人の機動力のベースになったのです。復興後にもこれらの資器材を保管し、各地で災害が起こった時にすぐ連絡を取り、必要なものを送るようにしています。まさに「救援=レスキュー」のために「蓄える=ストック」「場所=ヤード」です。

レスキューストックヤードを創設してから12年、もう50回以上は全国各地に資器材を送っています。資器材をトラックに積み込むとき、通りすがりのサラリーマンが上着を脱いで手伝ってくれるんです。そして、頑張ってこいよと荷物に手を振ってくれる。現地でがんばっているボランティアさんもたくさんいますが、こういう形で支援してくださる方もいるということを忘れたくないですね。

第2章

東日本大震災―取り残された人々の声を聴く

東日本大震災はそれまでの中小災害や局所的な災害とは異なり、他県をまたいだ非常に大規模な災害でした。我々にとっても未経験の規模で、どこから手を付けていいのかわからない状態でした。

栗田さん

その中で我々は真っ先に宮城県七ヶ浜町に先遣隊を派遣しました。東日本大震災が起こる以前に、宮城県社会福祉協議会が宮城県沖地震に備えて全県でボランティアセンターについての研修を行ったのです。私はその講師として市町村を回っていました。その訪問先のひとつであった七ヶ浜町の町長さんに、「うちみたいな小さな町には何かあった時に誰も応援に来てもらえない。だから助けに来てくださいね」と言われたことがあり、その御縁で七ヶ浜社会福祉協議会がレスキューストックヤードの会員になってもらっていました。そこで東日本大震災では、他の地域からも要請があったのですが七ヶ浜の現場に真っ先に入ったのです。

「ボランティアきずな館」活動のあゆみ

七ヶ浜ではボランティアセンターの支援を行いました。資器材や物資を提供するとともに、飲まず食わずで活動していた社会福祉協議会の職員や、ボランティアに駆け付けていた地元の中高生たちのために炊き出しを行いました。避難所では足湯ボランティアを始め、布団や間仕切りの提供、仮設トイレへの洋式便座や手すり、階段の設置、下着や靴下の提供などを行いました。

震災から3年が過ぎましたが、被災地ではまだまだ支援が必要な状態が続いています。たった3年、折り返しにもなっていません。仮設住宅に残っている人たちは、取り残され感、孤独感を抱いています。そんな時にこそボランティアが必要なんです。撤退してはいけないんです。おせっかいでもいいんですよ。お元気ですか?お茶でも飲みませんか?と、そういう活動を続けなくてはいけないと思っています。

七ヶ浜に、「お前らにしか吐き出すことができない」といろいろ打ち明けてくれるおばあちゃんがいるのですが、先日も行政に対して非常に怒っているんです。要望を出しているがなかなか対応してくれないと憤慨しているので行政側に話を聞いてみると、その内容がうまく伝わっていないんですね。そこで私たちが行政におばあちゃんの意図を伝えると、なるほど理解してもらってスムーズに対応してくれる。民間のボランティアは、行政と被災者の間に立ち、橋渡しするという役割も大切なんだと実感しました。

次回、「第3章 東日本大震災――前を向いて進もうとする人々のために」、
   「第4章 自分で考え、行動する。新しいボランティアの形」に続きます。

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