情熱シアター

茂山あきらさん

狂言で大笑いして、
明日へ向かう力を蓄えていただきたい。

大蔵流 狂言師 茂山あきら

大蔵流 狂言師
茂山あきら しげやま・あきら

1952年、狂言師・茂山千之丞の長男として京都に生まれる。3歳のとき『以呂波』のシテ(能や狂言の主役のこと)で初舞台を踏む。狂言と新作落語のコラボレーション、オペラや新劇、パフォーマンスなどの企画・構成・演出なども手がけるマルチな舞台人間として活躍。1981年には欧米の現代劇と日本の古典芸能を融合した「NOHO(能法)劇団」をジョナ・サルズと共に主宰するなど海外にも活動を広げる。著書に「京都の罠」(KKベストセラーズ)。第31回京都府文化賞功労賞受賞。


「困っている誰かの為に、何かしたい」という志を共にする方々の熱い思いをご紹介します。
今回は、大蔵流 狂言師、茂山あきらさんです。

第1章

舞台と客席が一体となって楽しむ狂言の魅力

私たち大蔵流 狂言の茂山家は、東日本大震災が起こった2011年から、被災地の支援活動として狂言公演を行っています。日本であのような大きな災害が起こり、自分たち狂言師も何か協力ができないかと思っていた時に、真如苑さんから声を掛けていただけたのがきっかけでした。

茂山さん

私たちは京都に住んでおりますので、東日本大震災の影響はあまりなかったのですが、1995年に起きた阪神・淡路大震災では息子の童司が西ノ宮にいて被災した経験があったのです。息子は小学校6年生でしたが、下宿していたお寺の御堂が倒壊するなど、本当に怖い思いをしたといいます。その時の命拾いをした恩返しをしたいという気持ちも強くありました。
私が被災地に狂言を届けたいと思ったのは、「笑いの効果」をよく知っていたからです。狂言を見て、ひと時でもその世界に入って笑ってもらうことで、気分転換になるし、ストレス発散にもなる。そして「また頑張るぞ」という力が湧いてくるのです。

茂山さん
2014年10月公演『清水』

テレビでもお笑い番組やバラエティ番組を見ることができますが、狂言公演との一番大きな違いは"一体感"です。会場まで足を運んでもらい、日常から切り離されることで"別の空間"にトリップできる。どんなに辛いことがあっても、この一瞬だけは、舞台の上と客席が一体となって作り出す空間に浸っていただけるのです。それが生ものの良さなんですね。
また、古典芸能である狂言には、流行り廃りではない人間の本質が面白おかしく描かれています。そうでなければ、約600年間も人を笑わせ続けられなかったでしょう。人をからかいたいとか、だましたいとか、サボりたいとか、そういう人間味のある登場人物を笑い、時には自分と重ね合せて苦笑する、それが何百年も変わらない狂言の魅力だと思います。

第2章

打ちひしがれた表情の子どもたちが......

私たちが被災地で初めて公演を行ったのは、震災からわずか7か月後のことでした。岩手の沿岸部など深刻な被害を受けた地域も通り、その爪痕を目の当たりにして、震災の恐ろしさと、そこに住んでいた方々の思いを改めて受け止めました。

公演は内陸部で津波の影響を受けなかった盛岡市中央公民館で行いました。沿岸部から避難してきている仮設住宅やみなし仮設にお住いの方々においでいただきましたが、皆さん初めは表情も硬く、日々ギリギリのところで頑張っていらっしゃるんだなという印象でした。しかし狂言が始まってみると徐々に表情がほぐれていき、いつしか会場中にワハハという笑い声が響きわたっていたのです。

■ 2011年10月 狂言公演

盛岡市中央公民館 『附子』 写真
盛岡市中央公民館 『附子』
『萩大名』 写真
『萩大名』

翌日は被災地の小中学校にも回りましたが、体育館に並んで公演を待っている子どもたちの目には、精気が感じられませんでした。子どもたちは大人よりももっと打ちひしがれているということが伝わってきました。家族や友だちが亡くなった子も大勢いたと思いますから当然でしょう。息子も、阪神・淡路大震災から数年は、ガタッという物音がしただけで叫び声をあげていました。東日本大震災を経験したこの子どもたちも、それだけ大きな心の傷を負っているのだろうと思うと胸が痛みました。

■ 2011年10月 狂言公演

下閉伊郡(しもへいぐん)山田町の小学校での公演 写真
下閉伊郡(しもへいぐん)
山田町の小学校での公演
宮古市の小学校での公演 写真
宮古市の小学校での公演

それが、ひとたび狂言公演が始まってみると子どもたちの顔に赤みが差し始め、最後には体育館中が楽しい笑い声に包まれました。この時は、本当に役者冥利に尽きると思いました。やはり笑いというのは、心の傷に対して特効薬とまではいかないまでも、軟膏くらいの効きめはあるのではないかと思えた一瞬でしたね。

第3章

畳4枚分の舞台があればどこへでも

2011年以降も、2012年、2013年、2014年と毎年秋に被災地での公演を続けています。今年は10月7日(火)に、盛岡の町家が並ぶ地域の一角にある、もりおか町家物語館浜藤ホールにて公演を行いました。もりおか町家物語館は、古い酒蔵を改装した会場で和の雰囲気にあふれており、狂言にぴったりの場所でした。

■ 2012・2013年の狂言公演の一部

2012・2013年の狂言公演 写真1
2012・2013年の狂言公演 写真2
2012・2013年の狂言公演 写真3
2012・2013年の狂言公演 写真4

10月8日(水)、9日(木)は、盛岡市内の中学校で狂言公演を行いました。私たちが被災地支援と共に大切に思っているのは、子どもたちに向けての公演です。狂言がこれからも長く愛され続けていくには、子どもたちに本物の狂言を味わってもらうことが大事だと思っています。私たち茂山家は比較的自由に演じるのが特徴で、会場の雰囲気を見ながら言葉づかいや演出を変えたり、アドリブを入れたりしていきます。子どもにはわかりにくい古典の言葉も、少しわかりやすい言葉に変えるなどして、子どもたちに狂言を面白いと感じてもらえるような工夫をしています。

■ 2014年10月の狂言公演

もりおか町家物語館浜藤ホールでの公演

もりおか町家物語館浜藤ホールでの公演 写真1
『蚊相撲』
もりおか町家物語館浜藤ホールでの公演 写真2
『清水』
もりおか町家物語館浜藤ホールでの公演 写真3
『蝸牛』

中学校での公演

もりおか町家物語館浜藤ホールでの公演 写真4
『柿山伏』
もりおか町家物語館浜藤ホールでの公演 写真5
『附子』
もりおか町家物語館浜藤ホールでの公演 写真6
茂山さん

被災地支援はこれからも長く続けていかなくてはならないと思いますが、被災者の方々の意識も多様化してきた今、支援の形を少しずつ変えていくことも大切なのかなと思っています。被災者の方々は、「ありがとう」とあまりに言い続け過ぎて、疲れてしまっている面もあるのではないでしょうか。支援を受けるありがたさと、支援を受け続けることでの疲れ、そのせめぎ合いがまた人間らしいと私は思っています。今後、被災者の方々の自立が進み、いつかは"ご招待"ではなく"お客さん"として狂言を楽しんでもらえる時が来たら嬉しいです。

今年の夏は、福島の南相馬市の夏祭りでも狂言公演を行いました。立ち入りは可能ですが宿泊は禁じられている区域で、舞台はトラックの荷台(笑)。でも狂言は畳4枚あればどこででも演じられるのがいいところです。そして、狂言師が舞台の上で「ここは街道の......」と言えばそこは街道になる、「オリオン星から来る、われ宇宙人......」と言えば宇宙人になれる(笑)。演者もお客さんも同じ空気の中で、現実を忘れて"つもり"を楽しむ。そんな狂言の魅力を、これからも多くの方に伝え続けていきたいと思っています。

<コラム:2014年 公演概要>

2014年10月7日(火)、もりおか町家物語館浜藤ホールにて、『町家de狂言~大蔵流狂言公演』が開催されました。もりおか復興支援センターに登録されている方々(みなし仮設などに住む約700戸の方々)をはじめ、盛岡市民を含む100名以上の招待者で会場は満席に。狂言の歴史や鑑賞法について、最初にわかりやすい解説があるので、初めての方でも無理なく狂言の世界に入ることができました。
公演後、招待された被災者の方々は、「大笑いしました。気分転換になって、本当にいい機会をもらえてありがたいです」、「20年くらい前に同じ演目を観た思い出が蘇りました。楽しいリズムに引き込まれて、日常が忘れられますね。ありがとうございました」という感想をお話しくださいました。
【演目】
『蚊相撲』『清水』『蝸牛』

もりおか町家物語館浜藤ホール 写真
もりおか町家物語館浜藤ホール
開演前のお客さまの様子 写真
開演前のお客さまの様子
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