情熱シアター
がれき、泥掻きの向こうの
被災者の「声」に耳を傾ける。
レスキューストックヤード代表
栗田 暢之 くりた・のぶゆき
2002年、特定非営利活動法人 レスキューストックヤード設立。現在、レスキューストックヤード代表理事、震災がつなぐ全国ネットワーク代表、東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN) 代表世話人、愛知県被災者支援センター長。京都大学防災研究所、名古屋大学大学院などの非常勤講師も務める。
SeRVの活動を通じて、様々な方との出会いがあります。
出会いから、さらなる絆が生まれ、また新たなつながりができていきます。
このページでは、「困っている誰かの為に、何かしたい」という志をともにする方々の、
活動に対する熱い思いをご紹介します。
前編に続き、レスキューストックヤード代表の栗田暢之さんにお話をうかがいました。
東日本大震災――前を向いて進もうとする人々のために
ボランティアは、まだ立ち直れない人たちに寄り添うことも大切ですが、一方で前を向いて歩きだした人たちをどうサポートするかということも大きなテーマです。宮城県七ヶ浜町でも元気なお年寄りたちは仮設住宅で暇を持て余しているんですよ。
そこで2011 年にミシンメーカーに協力してもらって「きずな工房」という施設を立ち上げ、モノ作りの好きな町民の方々に小物やバッグ、木工製品などを作ってもらうことにしました。参加者の方々に無理なく規則正しい生活を送ってもらうため、午前中は10 時から12 時、午後は13 時から15 時と活動時間も決めています。
出来上がった小物は、名古屋などのイベントで販売し、その代金を製作者たちにお渡ししています。少しでも収入ができるとうれしいし、生きがいになりますよね。そのお金をちょっと貯めて、孫にお小遣いをあげたり。働いて、収入を得て、喜びを得る。それがふつうの人の暮らしです。そこに希望が生まれるんですね。
ひとつの場所で長く活動していると、被災者とボランティアが仲良くなって仮設住宅に招かれることもあります。
ある時、ボランティアが仮設住宅に呼ばれて遊びに行くと、そこでは被災者が別の被災者の髪の毛を切っていたそうです。その仮設住宅に住んでいる被災者の方は床屋さんだったんですね。まだまだ働く意欲はあるけれど場所がないので、自分の仮設住宅で他の方の髪を切ってあげていたんです。
そこで、仮設店舗の設置を支援していた中小企業基盤整備機構を紹介し、仮設商店街「七の市商店街」の立ち上げをお手伝いしました。こういった支援があるというのは、役場の方でもなかなかご存じないんですね。震災後の修羅場の中で、すべての支援策を認知するというのは難しいことですから。そこで我々のような立場の人間が、被災地の声を聴いて、それにマッチングした支援策をアドバイスするという活動が大切なのです。
2013 年の夏に七ヶ浜の仮設住宅の奥の広場に完成した「きずな公園」も、被災地の子どもたちの声から生まれたものです。震災後、公園やスポーツ施設などは仮設住宅用地や復旧工事などによって減り、子どもたちは遊ぶところが無くなって困っていました。子どもたちにどんな遊具が欲しいか聞いたり、一緒に花を植えたりと、みんなの力で作り上げた公園です。ブランコと多目的遊具と鉄棒くらいしかない公園ですが、子どもたちは大喜びで遊んでいます。震災から2 年以上たって、やっと日常の一部を取り戻せているんですね。
この公園の設置場所は、出来るだけ仮設住宅に近いところを、とお願いしていました。仮設住宅では人と関わる機会が減り、引きこもりになってしまうお年寄りも少なくありません。そこできずな公園を、子どもの遊び場としてだけではなく、住民同士の交流の場としても活用できたらと考えたのです。公園で子どもたちが元気に遊ぶようになると、子どもの声に誘われてお年寄りが様子を見に来たり、公園を掃除するおばあちゃんが出てきたりと、さまざまな変化が生まれてきています。
これからも、被災地に暮らす人々がどのような想いを抱いているかを考えながらの活動を続けていかなくてはと思いますね。
自分で考え、行動する。新しいボランティアの形
東日本大震災以降、さまざまな支援団体の立ち上げや全国規模の活動に携わっていますが、やはり被災者と向き合って過ごすことが自分の性に一番合っていると思います。災害ボランティアというと泥掻きや炊き出しというイメージがあると思いますが、私たちが向き合っているのは、泥や食事ではなく被災者なんです。そこに活動の原点があると思っています。
被災地の方々と密に接するためには、と模索して行き着いたのが、足湯ボランティアです。限られた空間での避難生活は息が詰まることでしょう。足湯をやると言えばみんな来て並んでくれます。今までのべ1 万 6 千人くらいの足を温めてきましたが、被災者の方の本音は足湯から聞けると実感しています。行政の調査員の聞き取り調査では緊張をして心を開いてくれない人も、足湯で手を揉んだり足をさすったりしていると、10 分くらいで向こうから話し始めてくれるんです。
大震災の足湯ボランティアを始めた頃は、ボランティアの心のケアが必要になるほど悲惨な話を繰り返し聞きました。そんなつぶやきを受け止めながら、この人たちは今なにを求めているのか、次はどんなことをしてほしいのかヒントをもらい、行政などに橋渡しをして実現させていくというのが、私たちの大切な仕事になっています。
■ レスキューストックヤードのボランティア活動(一部)
最終的な目標は、被災者の方々に「災害に遭っちゃったけどしょうがない、頑張って生きよう!」と思ってもらうことです。でも、いくら支援しても、その人自身の気持ちが無ければ立ち上がることはできません。復興は、人によって大きく違います。津波の被害に遭った人たちの中には、まだ海は見たくないという人も大勢います。そういう人が、海を見に行ってみようかなと思えるようになったら、その人の復興なのかもしれません。
立ち上がる気力が生まれていない人を無理やり前に進めることはできませんが、一方で復興も進めなければなりません。そこでどうしても取り残されてしまう人たちの声を聴く役割をボランティアが担っていけばいいと思うのです。
ボランティアを長く続けていくには、自分で目的意識を持つことが重要です。例えば、相手の顔を見ながらの活動や、現場に出ての泥掻きなど成果がわかりやすいボランティアはやりがいを感じやすいでしょう。ところが、誰もいないところでの救援物資の整理などは、その先に被災地の方々の笑顔がイメージできないとやりがいを感じにくい。このような縁の下の力持ちが素晴らしい仕事だと気付けないと、コーディネーターは育ちません。
阪神淡路大震災が起きた 1995 年はボランティア元年と言われています。それから約 20年、時間と実績を積んできた中で、仕事を与えられて組織的に動くボランティア活動というのは、非常に優秀に行われてきたと思います。しかし、ボランティア活動とはもっと創造的なもの。もっと被災者の声を聴く機会を得て、自分たちで何をすればいいのかを考えるボランティアが育っていってほしいですね。(完)