情熱シアター

坂田裕一さん(後編)

アートや祭り、民俗芸能の力で、
人々の絆をつなげていく。

いわてアートサポートセンター理事長 坂田裕一

いわてアートサポートセンター理事長
坂田 裕一 さかた・ゆういち

盛岡市職員として盛岡市演劇の広場づくり推進事業や盛岡ブランド推進事業などに取り組み、盛岡市観光文化交流センター副館長、ブランド推進課長などを経て、盛岡市中央公民館長(2014年3月定年退職)。一方で1978年に地域劇団「赤い風」を結成し、主に演出・プロデュースを担当。2005年、岩手県で初めての文化芸術系NPO法人である、いわてアートサポートセンターを設立。現在、同センター理事長。


SeRVの活動を通じて、様々な方との出会いがあります。
出会いから、さらなる絆が生まれ、また新たなつながりができていきます。
このページでは、「困っている誰かの為に、何かしたい」という志をともにする方々の、
活動に対する熱い思いをご紹介します。
前編に続き、いわてアートサポートセンター理事長の坂田裕一さんのお話をお届けします。

第3章

被災地が求める文化支援をコーディネート

提言書 〜いわて文化支援ネットワークの活動から〜「文化復興による10年計画を考えよう」
提言書 〜いわて文化支援ネットワークの活動から〜「文化復興による10年計画を考えよう」

震災後、数日は被災者支援の仕事もあり混乱の日々でしたが、私たち文化関係者にも何かできることがあるのではないか?という思いはいつも頭の片隅にありました。
そんな時に、東京で芸術文化関係の仕事をしていた息子から電話がありました。震災前は、盛岡に帰って文化コーディネートの仕事をする予定があったのですが、大学時代の恩師に「被災地と東京を文化で結ぶコーディネートをして欲しい」と命じられたというのです。
東京にいる息子がやるなら、今ここにいる自分たちだってやらねばならない―――息子からの電話で気持ちが奮い立ちました。そして震災から約1週間後に風のスタジオに盛岡の文化関係者が集まり、いわてアートサポートセンターが中心となって、被災地の文化支援・文化復興をコーディネートするいわて文化支援ネットワークをスタートさせることになりました。

震災後は東北の経済が落ち込み、またイベントの自粛も相次いで、二次被害としてアーティストやその関係企業が窮地に立たされました。費用や人の不足で祭りや芸能が中止の危機にさらされることもありました。そんなとき、全国各地からの助成や支援がとてもありがたかったのですが、支援の受け方がわからないという声も多々聞こえてきました。そこで被災地の声を東京に届けて、どういうところがどんな支援を受けたがっているのかをマッチングさせる文化支援のコーディネートを主軸として活動することとなったのです。

第4章

これがあるからみんなが集まれる、という「祭り」を

3.11絵本プロジェクトいわて では、私が少年時代を過ごした陸前高田にも絵本を届けました。久しぶりに訪れた陸前高田はがれきの山で、かつての面影はありませんでした。私は陸前高田で様々な形で復興に取り組んでいる同級生たちと会い、語り合いましたが、ある友人の「例年通り8月7日に七夕まつりを開催したい。七夕は祖霊を迎える行事なのだから、生きている人間がやらなければ、祖先はもちろん、震災で亡くなった人たちにも申し訳が立たない」という言葉に大きなショックを受けました。この廃墟の中、地域で長く愛されてきた祭りを復活させるんだという強い思い......。

■ 陸前高田の"こころ"をつなぐ、慰霊と鎮魂の「うごく七夕」

「うごく七夕」 写真1
「うごく七夕」 写真2

震災から半年、山車は津波の傷あと癒えぬ街の中を進む
祭礼前夜には、慰霊と鎮魂の祈りを傾ける (写真は2011年、2013年)

「うごく七夕」 写真3
「うごく七夕」 写真4

区画整理が進む旧市街地。思い出いっぱいの土地で最後の祭礼となった(2014年)

うごく七夕は、陸前高田で江戸時代から続く夏祭りです。華やかに飾り立てられた山車の上で力強く太鼓を叩き、笛を鳴らしながら町内を練り歩きます。人々は毎年、うごく七夕まつりの時期が近づくと、それぞれの集落で集まって山車を装飾していました。
しかし震災により何もかもが流されてしまい、12台あった山車は3台に。飾り付けで集まっていた公民館も失われ、祭りを中心に結束していた人々は仮設住宅などに移り住み、バラバラになってしまいました。
一日も早い復興のため、住民の絆を取り戻すため、そして何よりご先祖様と震災で亡くなった方々への祈りのために、何としてもうごく七夕まつりを継続したい。そんな熱い思いに私は心打たれ、全力で支援することを約束しました。
そして2011年8月7日、震災からわずか5カ月足らずで、残った3台の山車を補修してうごく七夕まつりが見事開催されたのです。これは地元の方々の大変な努力と、全国からのご支援の賜物です。その後も皆さんからのご支援のおかげで、毎年うごく七夕まつりは開催され、各地に避難していた多くの人々の心をつなぐ行事となっています。

坂田さん

震災を機に、私自身の中でも、祭りや民族芸能への思いは大きく変わりました。祭りや民俗芸能は、文化財や過去の遺物などではなく、人々のくらしや心に深く根づき、生きているものなのだということに気付かされたのです。人々の結束、地域のつながりに本当に役立ったのは、祭りや民俗芸能の力でした。地域に根づいている祭りや民俗芸能の継承は、最も大切な文化支援のひとつなのです。
今後の展開としては、被災地に伝わってきた昔話などの物語を紙芝居にするプロジェクトを進行していきたいと考えています。津波は、個人の思い出だけでなく、地域の文化や歴史もすべて流してしまいました。想いを語り合う場所も、地域のつながりを育む場所も失ってしまった人々に、自分たちの物語を紙芝居として残し、伝えていく事のお手伝いが出来ればと思っています。

YUKIKO~ユキコ 再び、うたを~ のパンフレット
YUKIKO~ユキコ 再び、うたを~ 劇中写真

また、私個人としても、演劇人としてやらねばならないことがあると思っています。今年の5月に、いわてアートサポートセンタープロデュースで公演した「YUKIKO~ユキコ 再び、うたを~」という芝居は、私が震災から2年たって、やっと書き上げた物語です。主人公は実在の人物で、私の同級生でもある陸前高田のジャズ喫茶のオーナー。この脚本を作るときに、書いてもいいかと許可をもらいに行ったら、「書いてもいいけど、ひとつだけ約束して。辛い震災のことではなく、今とこれからのことを書いて。私だって夢を持ちたいから」と言われました。私は演劇人として震災を書かなければいけないと思っていたのですが、被災地の人は前を向きたいんだと、その気持ちに応えねばならないと改めて強く思いました。

坂田さん

近ごろは、被災者の方々からも、「ずっと自分たちがしてもらってばかりでは申し訳ないから、自分たちも何かお返しがしたい!」という元気な声も出てきました。被災地のおじさんフォークソンググループが沿岸各地からたくさん集まって、支援のお礼にと盛岡でライブを行いました。
震災から3年がたち、被災者が求める支援も千差万別になってきましたが、文化芸術は人々の絆となって心の復興を助ける大きな役割があります。それぞれの人、場所に最適な文化支援のコーディネートを続けていきたいですね。

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