2016年4月14日に発災した熊本地震における支援活動について、2回に渡って考える今回の特集。発災直後から行政やNPO団体の間で情報がスムーズにやり取りされ、ムラなく支援が行き届いた理由として、中間支援がしっかりと機能していたことが挙げられます。
今後の災害支援活動でも欠かせない"中間支援"。そのあり方について、熊本地震におけるキーパーソンとなったおふたりにお話を伺います。第2回は、「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)」事務局長の明城徹也さん。
全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)
事務局長
明城徹也
福井県生まれ。米国の大学を卒業後、建設会社勤務。その後NGO業界に転身し、海外で数多くのプロジェクトに携わる。東日本大震災では、ジャパン・プラットフォームの職員として、被災者・復興支援に従事。2013年より「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD)」の設立準備会議に参加し、2015年関東・東北豪雨水害や2016年熊本地震では、現地での支援コーディネーションを努める。JVOAD のNPO法人化を機に、事務局長に就任。
海外で経験した支援活動の"当たり前"が、日本国内では体系化されていないどころか、認識すらされていないという現状に直面し立ち上げたJVOAD。東日本大震災での反省から、鬼怒川水害(茨城県常総市)での経験、そして今回の熊本地震における災害支援活動を経て蓄積されたノウハウが今後、日本の災害支援活動にもたらすものとは──。
東日本大震災を教訓に立ち上げられたJVOAD
もともと海外のNGOで緊急人道支援の活動をしていた明城さんでしたが、2011年の東日本大震災をきっかけに、国内での災害支援活動に携わるようになりました。そのなかで感じた、日本の災害支援における課題や問題点──なかでも、海外では当たり前に調整されていた「支援者間の連携」が、日本ではその仕組みづくりすら満足に行なわれていない状況に戸惑い、JVOADの立ち上げを目指します。
明城:
東日本大震災の発災当初、個人ボランティアを受け入れる「ボランティアセンター」という仕組みはある程度できあがっていた一方で、NPOなどの支援団体を調整するところがなく、かなり混乱しました。ひとつのところにNPO団体が集中したり、お互いのことを知らなかったためにトラブルが起こったり......。
──全体を俯瞰してみるような調整役が、発災当初はいなかった?
明城:
そうですね。そもそも、どれだけの団体が支援に入ったのか、その数さえわからなかったので......その反省として立ち上げたのがJVOAD です。災害時に「誰がどこで何をやっているのか」ということをしっかりと把握して、現場の状況に合った支援が受けられるように。「支援の抜け漏れがなくなるような調整役」を担うことを目的として活動しています。
──東日本大震災で感じた、日本における災害支援の課題を具体的に教えていただけますか?
明城:
もともと僕は海外の支援を行なうNGOで緊急人道支援に携わっていたのですが、東日本大震災が起きたことで、東北の支援に向かいました。国内でどのように支援を進めていったらいいのかわからなかったのですが、「自分たちの国だから、支援がしやすいだろう」と思っていました。ところが......海外では「NGO=支援してくれる人たち」というのが当たり前ですが、日本では被災者支援に携わる重要なアクターとしてNGOが認知されておらず、非常に苦労しました。
──認知が低いということで、現場で支援に入られているボランティアの方々ともあまり連携できなかったのではないでしょうか?
明城:
そうですね。「事前にもっとお互いを知っていれば、連携して効果的な取り組みができたのではないだろうか?」と痛感したこともあって、そこからJVOAD設立に向けての準備会が始まりました。
──2013年から準備会を進めて、2016年にJVOADが設立されましたが、準備会の時点で実際に支援活動をされたことはありましたか?
明城:
本格的な支援活動を行なったのは熊本地震が初めてですが、常総市(茨城県)で発生した鬼怒川の水害のときに、準備会としてお手伝いしたことはあります。「茨城NPOセンター・コモンズ」という中間支援組織が常総市にあったことにより、NPO団体がそこに集まって情報共有を行なうことができました。ただ、NPOだけでは解決しない問題もありましたので、行政、災害ボランティアセンター、そしてNPOという、3者で会議を行なおうということになりました。
──その調整をJVOADの準備会で行なったのですね。
明城:
そうですね。常駐ではありませんが、会議の場を設定して司会を行なったり、議事録をまとめたり、課題ごとで専門的なNPO団体に会議に来てもらったり、といったことを常総で行なったので、熊本では活動のイメージができていました。
──常総市でのノウハウがあったことは大きかった?
明城:
特に避難所の課題について、住環境の改善にまでNPOが携われたことが大きかったと思います。それまでは、避難所の運営は「行政がやるもの」という意識がありましたが、「行政だけでは立ち行かない」ということが常総でわかったので、NPOも支援に入っていきました。ですから熊本地震でも行政から「避難所の運営を手伝ってほしい」と要望があって、連携して取り組むことができました。内閣府の担当者も常総での情報共有会議に参加するなど一緒に取り組んでいたので、熊本でもすぐに行政とNPOが連携して避難所の環境改善に取り組みましょう、というところまでいきました。
熊本地震における支援とKVOAD発足まで
JVOADの正式な設立に向けて準備会を進めるなかで起こった熊本地震。常総市での経験を活かし行政と連携する一方で、現地に集まるNPO団体をとりまとめるためにも、明城さんはまず「地元で中間支援を行なっているNPO」とコンタクトをとることが先決と考えました。そこで、前回ご紹介した樋口務さん(のちのKVOAD代表)と出会うことになります。
明城:
JVOADの準備会には「日本NPOセンター」も参加していたので、熊本地震が起こったときに「熊本の中間支援を行なっているNPOを紹介してください」とお願いして、「NPOくまもと」を紹介していただきました。そこで登場するのが樋口さんです。
──4月14日に前震があって、15日に樋口さんとお会いになって、「明日(16日)から一緒に熊本を回りましょう」と約束した夜に本震が起こります。
明城:
本震で被災された樋口さんが落ち着くまでの間、我々は行政やNPO団体から情報を収集して、必要な支援の情報を発信していました。
──「情報収集」とは具体的にはどのような内容でしょう?
明城:
いくつかありますが、まずは県庁の災害対策本部の会議に出て、「どこの市町村に避難者が何人いる」といった情報を集めます。発災直後は市町村によって被害の程度が異なるため、避難者の数がわからなかったり、連絡が取れないこともあったので、そういった情報をNPO/NGOに流すと、支援のターゲットが絞りやすくなることがあります。ですからまずは行政の情報を収集しました。それから......これも発災当初ですが、夜に顔見知りの団体が集まって、「今日はこういうところをまわって、こういった状況でした」といった情報を交換していました。
──その後、樋口さんも加わって一緒に活動していくなかで、KVOAD発足までに至った理由はどこにあると思いますか?
明城:
最初は、県内外のNPO等が集まる「熊本地震・支援団体火の国会議」や県・県社協との「連携会議」というものを実施し、樋口さんには地元代表としてすべての会議に参加いただきました。そうやって会議を重ねるにつれて、いろんな課題が見えきたようで。
──どんな課題ですか?
明城:
例えば、発災からある程度時間が経ってくると、県外支援者が少しずつ減っていくけれど、課題は山積しているので......最終的にはすべて地元が担うことになるだろうから、早い段階からしっかりと準備していかないといけない、というようなことですね。県外支援者がいるあいだに地元のネットワークを作って、ノウハウを蓄積して、引継ぎをしながら地元の態勢を整えておかないといけないという状況がありました。それで2016年の7月に「KVOADを立ち上げます」と宣言して、10月に設立総会を行ないました。
──KVOADに引き継がれたこととは、どういった内容が主でしたか?
明城:
行政との連携や、地域で展開している支援団体間の情報共有のサポートなどです。
──現在もJVOADとKVOADとの間で定期的に会議を行なっているとのことですが。
明城:
熊本の復興支援に過去の災害の知見が活かせることがあるので、実際に支援に役に立ちそうな先災地の人材情報などがあれば、JVOADがつなぎ役としてフォローに入ったりしています。例えば、「街づくりでこういう取り組みをした人がいますよ」とか、「コミュニティづくりでこういった苦労をされた方がいますよ」と情報提供し、熊本の復興人材の育成に努めるといった形ですね。それから、社会福祉協議会が行なっている「地域支えあいセンター」とKVOADが連携して見守り支援などを行なっているのですが、そのサポートにもつながればと思っています。
災害支援における主要なアクターとして
行政がNPOの実力を認知して、発災当初から支援のフォローを依頼していたこと。地元のNPO団体を把握している、樋口さんのようなキーパーソンと早い段階から一緒に行動できたこと──明城さんのお話を伺うなかで、熊本地震における中間支援の連携のあり方は、今後国内での災害支援活動を考えるにあたって、重要なモデルケースになるのでは?と思いました。
明城:
そうですね。熊本では地元の中間支援「NPOくまもと」と連携できたことが非常に大きかったです。連携した直後は、地元の状況を教えてくれたり、地元NPOを紹介してもらったりしました。また、地元の復興支援を担っていくネットワークを立ち上げ、継続した支援に取り組まれています。もし、サポートしていく地元の中間支援がいない場合は、どうするか、大きな課題になるかと思います。
──そういった、すぐに動ける組織を各地域にきちんと作っていかないといけないんじゃないかと思いました。
明城:
そうですね、普段から都道府県域でしっかりとネットワークを構築しておく。KVOADは災害の後に立ち上がりましたが、災害が起こる前からそういった組織をしっかり作っておく必要があるだろうなと思っています。現在、各都道府県にこちらから働きかけたり、各都道府県から問い合わせが来ていたりするので、県域のネットワークをしっかり作っていこうというのは、今JVOADとして進めているところですね。
──ほかに、熊本における支援活動で特徴的だったことはありますか?
明城:
NPOが避難所の支援の深いところまで行なったのは特徴的だと思います。常総のときは、生活環境を少し改善する程度でしたが、熊本ではさらに突っ込んで、いくつかのNPOは避難所に常駐しながら運営サポートを行ないましたから。そうやって、NPOが人を出して運営のお手伝いをするということを、行政としっかり連携してやったのは初めてじゃないかなと思います。
──そういう意味でも、NPOに対する期待は高まってきているということでしょうか?
明城:
そうですね。行政だけでは手が届かない部分をボランティアやNPOがフォローしていきますが、支援の領域が広くなっていくにつれて、NPOに対する期待値も大きくなっていることを実感します。ボランティアやNPOって「自主性」がキーワードでもあるのですが、期待値が上がると責任も問われるようになってくると思います。例えば避難所の運営を任されたときに、それぞれの団体がきちんとクオリティが保てるような支援ができるのかというと、もっとレベルアップしていく必要があると思っています。熊本地震での支援活動はそういったことを考えるきっかけにもなった......ひとつの転換点なのかなって思います。
──転換点ですか。
明城:
今後、日本で災害支援を行なっていくうえで、単に「ボランティア」という言葉で片付けられていたところが、主要なアクターになるにつれて責任も出てきて、そこでどういった役割を果たしていけばいいのか。自主性を損なわずに、期待されている役割をしっかりと果たせるようになっていくための取り組みが必要ということを実感しました。
──まさに、今後さらに必要とされる分野ということですね。
明城:
本当にその通りだと思います。特に、支援活動ということにおいて最もノウハウが蓄積されるのは、ボランティアや支援団体の人たちだと思います。同じ市町村で災害が2回も3回も、行政の担当者が同じときに起きるということはほとんどないので、毎回初体験の人が災害の対応を行なっている状況なんですよ。一方で、NPOはいろんな災害を経験している人たちが集まるので、制度や知識、ノウハウが身についている人が増えています。「あそこの地域はああいう状況だったから、こういった支援が効果的だった」とかって、災害のたびにいろんな引き出しが増えていく。災害を重ねるごとに専門集団になっていくので、その役割は今後、さらに大きくなっていくのではないかと思います。
2回に渡って特集した「熊本地震から1年半〜改めて考える"中間支援のあり方"」ですが、そもそも「災害時の中間支援」という分野がこれまで日本にはほとんどなかったこと、そして、熊本地震で"ほぼ初めて"行政と連携した中間支援が行なわれたということを知りました。
「地震大国」と呼ばれる日本には欠かすことのできない中間支援という分野。より多くの方に、活動の内容とその必要性が伝わることを願ってやみません。