特集 一人ひとりの "復興"の形

一人ひとりの "復興"の形

今回は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の大津波によって
甚大な被害を受けた陸前高田市を訪ね、被災地の"今"をお届けします。

陸前高田市における東日本大震災の被害状況

地震発生時間 2011年3月11日(金)
14時46分
震源地 三陸沖
地震の規模 マグニチュード9.0
陸前高田市の震度 震度6弱
全壊戸数 3,159戸
死亡者数 1,735人(行方不明者14人)
※市人口の約7%にあたる
陸前高田市地図

3・11の大地震による大津波に、町が丸ごと飲み込まれた陸前高田市。あの震災から3年半がたち、人々の暮らしや復興の状況はどう変化しているのでしょうか。私たちはこの目で陸前高田の現状を確認すべく、現地に向かいました。

2011年3月撮影

全壊した建物 写真1
全壊した建物 写真2
全壊した建物 写真3
東日本大震災直後の陸前高田市の様子
全壊した建物 写真4
全壊した建物は3,000を超える。

日本三大松原にも数えられた名勝・高田松原と、複雑に入り組んだリアス式海岸が表情豊かな景観を魅せていた陸前高田市。ところが震災から3年以上過ぎた今も、漁業などの地元の産業は復興しておらず、かつて住宅や店舗が軒を連ねていた市街地には、荒涼とした更地がただ広がっていました。海に突き出した半島部分の根元の地域は、外海と内海の両側から津波に襲われ、完全に水没したそうです。海から1.5km離れていた市役所も津波により全壊し、現在も庁舎は仮のプレハブのままとなっています。
復興とはほど遠い陸前高田の現実を目の当たりに言葉を失っていた私たちは、工事車両が行きかう更地の向こうに、白い橋をつないだような巨大な建造物があることに気が付きました。町を案内してくれたNPO法人の方に伺うと、「あれは"希望のかけ橋"と呼ばれているベルトコンベアです。宅地にするために山を削って出た土を、津波被害があった地域に運んでいるんですよ」と教えてくれました。

2014年9月撮影

東日本大震災直後の「陸前高田市」の様子1
東日本大震災直後の「陸前高田市」の様子2
"希望のかけ橋"と呼ばれているベルトコンベアが山の方から海岸線のあたりまでのびている その全長は約3kmにも及ぶ

特に津波被害がひどかった地区の一つである今泉地区では、将来の津波の被害を防ぐためには9m以上のかさ上げが必要と考えられています。ダンプでその盛り土を運搬すると、整地が完了するには10年もの年月が必要だとされていました。それが"希望のかけ橋"の稼働で、約3年に短縮されるといいます。
"希望のかけ橋"という愛称は、市内の小学生からの公募で決定しました。子どもたちが名付けた"希望のかけ橋"が、陸前高田の希望を未来につなげているのです。

津波により全壊、半壊した建物はほぼ撤去されていますが、いくつかの公共施設は震災遺構として被災した状態のまま残されています。そのひとつが、かつての「道の駅 高田松原」です。震災前は観光物産センターやイベント広場、野外ステージが置かれ、休日には観光客でにぎわっていたといいますが、現在残っているのは建物の外側のみ。建物前面にあったガラス張りのスペースは引き剥がされたように丸ごとなくなり、ぽっかりと空いた入口の向こうには、天井や壁が無残に崩壊した生々しい様子がそのまま残っています。

2014年9月撮影

「陸前高田市」の様子
陸前高田市の様子
道の駅 高田松原
震災遺構「道の駅 高田松原」。今も多くの人が訪れる
BRT(バス高速輸送システム) 写真1
BRT(バス高速輸送システム) 写真2
JR大船渡線は津波により不通に。2013年3月2日、BRT(バス高速輸送システム)にて仮復旧した。

街を案内してくれたNPO法人の佐藤さんは、仮設住宅などに暮らす被災者の方々を市外の入浴施設へ招待する活動を行っています。
「高齢者の方は車が出せませんから、入浴施設への送迎サービスはとても喜ばれます。ふだん買い物に出るのも不便な方が多いので、入浴施設の帰りにショッピングセンターに寄ってお買物を楽しんでいただいています。仮設住宅にお送りして別れる際に、『次はいつ?』と待ち遠しそうに聞かれるんですよ。ただ、仮設住宅にお住まいの方は周りの方との交流がありますが、アパートなどのみなし仮設住宅に転居すると孤立してしまうことも多いんです。そういった方々への見回り活動もあわせて続けています」(佐藤さん)

大船渡市より陸前高田市をのぞむ佐藤さん
大船渡市より陸前高田市をのぞむ佐藤さん

市内のある仮設住宅を訪ね、元自治会長さんに話を伺った。「ここの仮設住宅は、以前同じ地域に住んでいた者が多いので、みんなで助け合って仲良くやっています。でも、仮設で一生を終わらせたくないという気持ちはみんな持っている。昼間はいいけれど、夜になるといろいろ暗いことを考えてしまうから、閉じこもらずに出てきて話をしようと声を掛けて回っているんです」

東日本大震災直後の「陸前高田市」の様子 写真1
東日本大震災直後の「陸前高田市」の様子 写真2

左の写真は元自治会長さん
集会所の壁は、支援に来てくれたボランティア団体などからのメッセージで埋め尽くされていた
右の写真は集会所前での語らいのひと時

昨年11月、自宅があった場所に盛り土をして家を再建した。息子の嫁は、自分の家に戻ってきた義父の元気が戻ってきたとうれしく思っているが、こんな不安も感じているという。「うちは家が丸々流されたのに、自治体のかさ上げ区域に入っていません。だから他の地域よりも早く家を再建できたのですが、本当にもっとかさ上げしなくて大丈夫なのかと心配な思いはあります。でも、かさ上げ区域の人たちは戻りたくても戻れない。家を建てられた私たちはまだ幸せなのかもしれないのですが、複雑な気持ちです」

津波で家が流され、妻と息子夫婦との4人で仮設住宅に入居していた90歳の男性
津波で家が流され、妻と息子夫婦との4人で仮設住宅に入居していた90歳の男性 現在は再建した自宅に家族と暮らす
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