特集 SeRV 20周年にあたって ボランティア活動を通して気づいたこと

SeRV20周年にあたってボランティア活動を通してきづいたこと

鼎談風景 写真

日本のボランティア活動において最前線で活躍するふたりのゲストを迎え、過去20年間の足跡をたどり、SeRVに期待されていることをお話ししていただきます。

阪神・淡路大震災から20年を振り返る

1.1995年をボランティア元年とする社会背景とは

太田氏

太田:
皆様、本日はお忙しいなか、お集まりいただきありがとうございます。
ご存知の通り2015年1月で阪神淡路大震災から20年が経ちます。また、新潟地震や東日本大震災を経験するなかで、ボランティア活動そのものについても変化してきたように思います。SeRVも立ち上げから20年を経て、昨年から常設化を進めています。
そこで今回はボランティア活動の最前線で活躍されているおふたりとともに、この20年間を振り返り、ボランティアの変遷とSeRV活動についてお話していただきたいと思います。
まずは、阪神・淡路大震災をボランティア元年とするお話をよく伺いますが、その頃のボランティアはどのような状況だったのでしょうか?

早瀬氏

早瀬:
阪神・淡路大震災がボランティア元年と言われた背景には幾つかの要因があります。当時ボランティアとは縁のない人が多いなかで、1992年に金子郁容さんが岩波新書から出された『ボランティア もうひとつの情報社会』という書籍では、それまでのボランティア関連書籍のような"善意"とか"奉仕"という言葉がひとつも出てこなかった。出てきたのは"発見""広がり感"といった言葉です。 つまりボランティアをそれまでとはまったく異なる視点から説いたんですね。この本をきっかけにマスコミの世界にボランティアブームが起こり、1994年にはNHK教育テレビで「週刊ボランティア」という番組の放送が始まります。この頃、企業の社会貢献活動が注目されはじめ、企業が社員のボランティア活動を応援するという風潮もありました。

桒原:
そうしたなかで、阪神淡路大震災は起こってしまった。

阪神・淡路大震災におけるSeRVの炊き出し
阪神・淡路大震災におけるSeRVの炊き出し(1995年3月5日)

早瀬:
そうです。そこで学生や社会人、主婦など被災された方までが、何かできることはないかという思いにわき上がった。そんなとき神戸市役所が地震の翌朝、1月18日の午前8時に、ボランティアを募集する記者会見をした。実は地震当日、市役所や区役所にボランティアを自主的に志願する人が何人か集まったんですね。
もともと神戸市は日本で最初にスポーツボランティアを召集した地です。1985年に開かれたユニバーシアード神戸大会でボランティアの募集を行い、4万2000人ものボランティアが集いました。
つまり行政がボランティアと協働する経験を持っていたんです。
じつは、行政が災害救援ボランティアを一般に募集するという事例は、阪神・淡路大震災が初めてなんです。それまでは地域組織による炊き出し程度だったんですね。
行政がボランティアを募集したインパクトは大きかったと思います。みんな「何かできる!」と思うじゃないですか。しかも震災の翌日には阪急電鉄が西宮北口駅まで始発から動いていました。大阪から被災地まで、電車で向かうことができたんです。

太田:
一般市民が立ち上がったということですね。

早瀬:
そうなんです。そうしたなかで、市民自身が被災地に出向いて、なんとかしようと行動に移した、それがメディアを通して広まったように思います。

2.ボランティア・コーディネーションの大切さ

桒原氏

桒原:
一方で、阪神・淡路大震災ではコーディネーションの大切さが改めて浮き彫りとなりました。神戸市は3,000人ものボランティア志願者を名簿に登録はしたものの、皆、改めて電話しなければ来てくれない。災害時のコーディネーションというのは、それではうまくいかないんです。
ボランティアと被災者の間に立つコーディネーターの必要性が強く問われました。

太田:
ニーズがあるところに、スムーズにボランティア人員を向けるということですね。実はSeRVも3月時点で1万人の登録があって、当時からコーディネーションの難しさを実感していました。

早瀬:
登録されるということは、すなわち神戸市やSeRVの指揮下に入るわけです。ということは、登録者は神戸市などからの指示待ちの状態になる。でも特に行政の場合、実際は指示が出せないんですよ。行政は公平原理などに縛られていて、ボランティアが機動的に活動できる環境を作りにくいからです。
当時なかなか電話がつながらない状況でしたから、我々、「大阪ボランティア協会」が作ったボランティアセンターでは「いつでもいいから来てください」と宣言してしまいました。このため、急遽、明日は何人集まるか分からない志願者をその場でコーディネートする仕組みを作ることになりました。
そこで、ニーズが届いてこなければ自分たちでボランティアができるプログラムを自ら作りました。
"いま開いているコンビニ情報を調べるチームを結成する"
"いま開いている銭湯情報を探すチームを結成する"
たとえ、こうした依頼が被災された方から来なくても自分たちで考えて行動しました。被災されている人たちは、なかなか自分からSOSを出せないですから。

鼎談風景

太田:
より能動的に、ニーズを掘り起こすわけですね。SeRVも、現地に拠点をおいて人員を配置し役所や避難所のニーズを積極的にうかがうように務めました。

桒原:
当時私がいた「朝日ボランティア基地」では、違う方法を選びました。ボランティアを希望する方たちに大阪府立青少年会館に集まっていただき、その場でオリエンテーションをしてグループ化しました。ですから、ボランティアは現場のニーズをきちんと把握したうえで直接現場に向かうんです。我々はボランティアのグループ化や組織化をすることが得意だったんですね。
※社会福祉法人朝日新聞厚生文化事業団は神戸、西宮両市内に「朝日ボランティア基地」を設け、朝日新聞社とともに大規模な救援活動を展開した。
いま考えると、バスのなかでオリエンテーションする現在のボランティアバスの手法とあまり変わらないことを20年前にすでにしていたんだと思います。

太田:
確かに、その通りですね。ところで、おふたりが知る阪神・淡路大震災のボランティア活動のなかで、心のケアにつながるようなボランティア組織はありましたか?

早瀬:
心のケアに関する活動は、医療系の団体が専門家として入ってきていました。 雲仙普賢岳(1990年~1995年)や奥尻島(1993年)の時にはまだなく、阪神・淡路大震災になって初めて話題になったと思います。

桒原:
僕らはYWCAの方々と心のケアワークショップを神戸でやりました。前年にアメリカのカリフォルニア州で起きたノースリッジ地震関連の資料に、ケア方法のハンドブックがあって、それを兵庫県立鈴蘭台高校(現在は閉校)の英語の先生たちに翻訳してもらったんです。
支援者のためのケアや、子どもたちの心の傷つきについても勉強しました。その後も、いろんな災害現場に行くたびに、被災しながら支援している人たちへのケアが足らないと言い続けました。

太田:
そうやって模索しながらも、今につながる形態が20年前に出来つつあったということですね。そして、支援者へのボランティア、つまり"ボランティアのボランティア"という課題も、すでに提起されていたわけですね。
ちなみに、SeRVも心のケアの一助になるボランティアができないかと、模索しました。阪神・淡路大震災発生から十数日が経過し、支援物資も行き渡っていくなかで、次に必要なのは心のケアになると盛んに報道されていましたから。私自身はニュースで避難所のお年寄りが「陶器の湯飲みでお茶が飲みたい」と答えているのを見て、リュックにお湯のポットと急須と湯飲みを入れて、避難所にかけつけたことを思い出します。お茶を入れながら会話する中に、相手がホッとされていくのを見て、物資の支援だけでなく、継続的に相手に寄り添っていく何かが大切だと感じました。

桒原:
たしかに専門職による心のケアとは別に、インフォーマルな形で、それこそ一緒にお茶を飲むなかで時間を過ごすことも必要ですよね。

太田:
そうなんです。この20年間を振り返ると、私たちSeRVは日頃から特別な訓練をするようなプロ集団を目指すより、発災を受けてから招集され現地に赴く、いわば素人の集まり"アマチュア集団"として模索を続けてきたように思います。

新潟豪雨災害時の活動 写真1
新潟豪雨災害時の活動 写真2
新潟豪雨災害時の活動の様子(2004年7月)

3.人はみんな得意分野を持っている

早瀬:
アマチュアだって、みんな日常生活をしている上では、なんらかのプロなんです。自衛隊はともかく、普通は災害時のプロなんていませんからね。
ある人はトラクターを運転できるかもしれないし、被災した方々の話を聴くことがとても上手な人もいる。一般の市民も、そういう「専門性」を持った人たちなんです。それが結果として活きるんですね。SeRVに参加されている皆さんも、豊かな生活経験を持っている人たちですよね。

鼎談の様子

太田:
SeRVは立ち上げ当初から、建築関係の人は建築仮設住宅でのサポート、料理が得意な人が炊き出しと、それぞれの得意分野を生かしていました。

桒原:
災害ボランティアというと、泥かきとか、家具の移動のような作業に目が向きがちです。それらは被災者の生活の場をいち早く取り戻すために不可欠な活動ですけど、同時に被災者に対して当たり前の気遣いができるかどうかもとても重要なんです。
右から左へ「はい、コレ捨てますよー」じゃなくてね。捨てるかどうか迷っていることにも、寄り添えるかどうか。

早瀬:
マスメディアでは、とかく" 瓦礫 ( がれき ) "という言葉で片付けてしまいがちですが、いずれも思い出の品ですからね。本当は被災者にとって、かけがえのないものなんです。

桒原:
ボランティアとしての活動期限があと少しとなると、なおさら役に立とうとする思いが先に立ち、被災者の了解を得ずに床板をどんどん切ってしまう人もいます。そうやって、後からクレームにつながることもあるんですね。

太田氏

太田:
その辺は、SeRVが本領を発揮できることかもしれません。ただテキパキと片付けていくのではなく、相手に寄り添い、少しずつ片づけをお手伝いさせていただく。トイレも自ら進んで掃除いたします。それこそがSeRVの持ち味と自負しています。
救援ボランティアグループのSeRVが常設化することで、その持ち味がさらに発揮できると思います。平時における活動により地域とのつながりはさらに密接になるはずです。また自分たちの安全を確保するという目的で、災害に対する知識を深めていこうとも思っています。でも、あまりマニアックな団体になりたくないとも考えているんです。

早瀬:
これまで通り、普通に、皆さんのお世話をやっていかれたらいいと思いますよ。それにマニアックに過去の事例を突き詰めたとしても、災害が再び同じ条件で起きることはあり得ません。阪神・淡路大震災を経験したから、東日本大震災もすべからく対応できるというものでもないんですね。災害ごと、地域ごとに様相は異なります。

平時におけるボランティア活動の大切さについて

4.SeRVが常設化される意味とは?

太田:
緊急時にスムーズな活動を展開していくためにも、平時の地域活動を通して、お互いの顔が見える関係性を構築しておくことが大事だと思うのですが、その辺りはいかがでしょう?

桒原:
おそらく常設化によって目指すものはふたつあると思います。
ひとつには太田さんが指摘されたように"地域の中でもし何かが起きた場合に、各種団体同士のつながりを発揮して活動を展開するための関係作り"ということが挙げられます。
もうひとつは組織的災害ボランティア活動の面から、やはり現場にはコーディネーションなり、マネージメントができる人が必要なんです。そういう人材を育てて、全国に配置する必要がある。そのふたつの側面が重要なんですね。

桒原氏

早瀬:
災害時にはネットワークがとても重要になります。ネットワークとは、網のようなつながりであって、そこに上からボールを落としたら網の目がグッと近づく。そういうものなんです。
平時からつながりがあれば網の目は寄りますし、つながりがなければ寄らない。平時の面識が非常時にはモノを言うんです。
そのことを僕は阪神・淡路大震災の時に経験しました。それまで、連携し合ってきた仲間たちが、電話で頼んだだけでコーディネーターとして出向いてくれたんです。僕はあの時、無駄にみんなとお酒を飲んでこなかったと思いましたよ(笑)。それまでの関係から、自然と全国のコーディネーターたちとのつながりができていたんです。
ボランティアセンターというのは、ほとんど一人か二人のコーディネーターで回しているものなんです。長期になればなるほどとてもハードです。そんなとき「仕事を休んででも手伝ってほしい」「来てくれないともう回らんのや」と、仲間に1本の電話で頼める関係が作れるかどうか。
アイツが言うんだったら、ということで来てくれる。平時に知り合っていることは、本当に大事なんです。

平時における活動の様子 写真1
平時における活動の様子 写真2

平時における活動の様子。
他のボランティア団体とともに、公園に植樹された桜に施肥した。
(2014年6月22日)

桒原:
そうですよね。僕の場合は朝日新聞厚生文化事業団にお世話になった方がいました。
阪神・淡路大震災から1月24日まで現場にいて、家に帰ったら、彼から電話がかかってきて。「明日、12時に兵庫県福祉センターに行ってほしい」と。
もう彼にお願いされたら「ラジャー」と言うしかないです(笑)。結局、そのまま兵庫県福祉センターに3か月いましたよ。

5.自助・共助・公助とは?

太田:
昨今、ボランティアの世界で"自助・共助・公助"という言葉をよく耳にします。SeRVも常設化するに当たって、こうした考え方を踏まえておきたいと思っています。

早瀬:
自分たちでできることは自分たちでする。そうした心構えを平時から構えを持っているということですね。ただ"公助"という言葉が示す行政の仕事と、僕ら、ボランティアの仕事では、それぞれ特徴があってね。僕らは全体をおしならべて公平にすることは不可能です。裏を返せば、僕らは"他ならぬ、あなたのために"という関わりができる。
温かさとは、不公平であることと表裏一体なんです。人は"他ならぬ、あなたのために"という行為を受けた時に、温かい対応を受けたと感じるんですよ。
僕らは、行政にはできないことができるんです。それぞれ異なるタレント性を持ち、いろんなことを思いついて。そうやってさまざまなことをはじめると、結果的に多彩になる。
行政は公平性を保つために、少なくとも過半数が賛成することしかできない。それゆえ非常に画一的になり、冷たくならざるを得ない。そういう性格の違いがある。
お互いがお互いの弱みをカバーし合う関係にあるんです。
ですから行政の防災予算が潤沢だったところで、行政だけで完璧な対応ができるかといったら、そんなことはない。行政にはできないことがあり、それをボランティアはできる。

桒原さん

そうした背景を踏まえて、SeRVという存在をもう一度、俯瞰してみることも重要でしょう。

桒原:
東日本大震災から1年経った頃のことですが、仙台市内のある小学生が、大人に向かって言ったんです。「自分の命、助けられる?」「自助・共助なんて、人に言われてやっちゃダメだよ」って。
ストレートに言われてドキッとしました。「自助力を高めよう」とだけ人に言われたら「自分のことは自分でやりなさい」って聞こえてしまいます。自分もやる、助け合いもする、自助・共助のバランスが大事だと思います。
僕は、そこに立ち返らなくてはいけないと思う。

6.ボランティアとは、つまり何なのか?

太田:
皆さんにとって、ボランティアって何だと思いますか?

鼎談の様子

早瀬:
そりゃぁ、"ほっとかれへん"でしょう(笑)。

桒原:
あ、僕もいま同じことを言おうと......。

早瀬:
大事なのは自発性であって"ほっとかれへん"なんです。

桒原:
僕も同じです。困っている人をほっとかれへん。だから自由意志なんです。気づいて行動しちゃうんです。

太田:
つまり、強制的なものでもないし、みんなに公平にしなくちゃとか、そういうことでもないということですよね。

桒原:
よく"絆"という言葉が用いられますね。

早瀬:
面白いのは、「絆される」と書くと、「ほだされる」と読むんです。
絆という字は、本来は家畜をつなぐ紐のことですから縛られるという意味です。だから、"情にほだされる"というのは、情に縛られることです。でも、絆があるから、情にほだされて、"ほっとかれへん"になるわけですよ。

桒原:
私は人と半分と書く"伴"という言葉のほうがしっくりとくるんです。ともに歩む"伴歩"でいい。東日本大震災から約1年後に設立し、私も共同代表になっている支援者のケアを目的とした、支援者のための支援センターTOMONYも、"伴に"という意味です(笑)。

早瀬:
ボランティアって、最初はほっとかれへんから動くんだけれども、さらに意欲が高まるのは、被災された方々の未来への思いに共感するからなんです。ちょうどボランティアと被災者が同じ夢をともに実現する仲間のような関係になる。
「この町を復興させたいんや」「僕らだけじゃできへんから手伝ってくれ」と被災者から言われたら、すごく頑張る。"伴に"歩むチャンスを、被災された方々が作ってくださるわけですね。

太田:
それは、とてもよく分かります。我々SeRVも、さまざまな被災地で同じ思いで活動をしてきました。
では最後に、これからのボランティア活動に対する課題とは何でしょうか?

早瀬:
ボランティアって、自発的に関われるかどうかで、姿勢が違うんですよね。人から言われてやると、とかく指示待ちになるし、トラブルがあった時には指示した人のせいにしてしまう。
スポーツ大会にはボランティアが大勢、参加します。そうしたイベントって必ずと言っていいほどトラブルが起こるんです。その時に、自発的な人たちだったら、そのトラブルを引き受けてくれる。
昔の話ですが、長野オリンピックの時にジャンプ競技が大反響でした。でもあれには裏話があって。あの日、大雪が降って、現地に出向こうとしたのに競技を見られなかった人がたくさんいた。そこでは、ボランティアの皆さんが一生懸命謝っていたんです。山の天候なんだから、自分のせいではまったくないんですけど、謝っていたんですよ。
一生懸命に「申し訳ない」「申し訳ない」って言っていた人がたくさんいたから、あの場は収まった。自発的な人たちのエネルギーってスゴイんです。トラブルに向き合い、当事者として構えてくれるから、観客の不満の気持ちも収まっていくんです。
ですからSeRVの取り組みについても、みんなが自発的にできる自由さが保証されるとすごくいい活動になる。

桒原:
大学で非常勤講師をしている頃、いろんな大学の先生に調査したことがあるんです。高校までにしてきたボランティア体験について。
多くは「やらされた」「突然、行けと言われた」とかね。福祉やボランティアについて、自発性のない教育を受けてきて、どちらかと言うとネガティブな印象を残しているんです。

鼎談の様子

早瀬:
ボランティアって自発的にすることなのにね。おそらく"タダ"ですることだと思ってる。お金を貰わなくても、したいからするのがボランティアなんです。

桒原:
体験学習と地域奉仕活動の機会を結びつけるサービスラーニングというカリキュラムがありますが、そういう助走期間というかね、準備期間が未成年の時期にしっかりとあることが重要です。突然、「ボランティアやります」じゃなくて。
そうでないと、大人になって自治会員やってくださいとか、民生委員になってよと言われても、みんな"嫌"という反応から始まる。
"社会に貢献する活動をする" "地域に役立つ"のは、当然のことと思える。そういう育ちなり、学びが欠けているのでしょう。
かつての日本には"ほっとけない"人たちが、地域にいっぱいいましたよね。ところがいまでは、コミュニティソーシャルワーカーとか、見守りボランティアいう肩書きを付けないとやる人がなかなか出てこない。
人の温かみがある社会を作るには、人を育てるしかないと思うんです。

太田:
そうですね。
SeRVの常設化を全国規模で進めていくにあたって、平時の地域とのコミュニケーションを今より密にしながら、 相手に寄り添い、困っているなら飛んでいく「友の心」を発揮できる取り組みを考えていきたいと思います。
早瀬さん、桒原さん、この度は貴重なお話を有り難うございました。

プロフィール

桒原 英文 (右)
一般社団法人 コミュニティ・4・チルドレン 代表理事、コミュニティ・エンパワメント・オフィス FEEL Do 代表、支援者のための支援センターTOMONY共同代表。1964年福岡生まれ。

早瀬 昇 (中央)
認定特定非営利活動法人NPOセンター代表理事、社会福祉法人大阪ボランティア協会常務理事。1955年大阪府生まれ。

太田 一郎 (左)
SeRV本部 事務局長。真如苑の社会貢献活動に長く携わる。2012年に現職に就き、2014年からは全国のSeRVの常設化を進める。1957年大分県生まれ。

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