1995年に阪神・淡路大震災をきっかけに立ち上がった「SeRV=真如苑救援ボランティア(Shinnyo-en Relief Volunteers)」。30周年を迎えるにあたり、対談企画「宗教界によるボランティアの歩み」をお届けします。
前編では、宗教学者で宗援連(宗教者災害支援連絡会)の代表を務める島薗進先生をお招きし、宗教界による支援の変遷を辿ります。宗教ボランティアがどのように始まり、今何を求められているのかを、見つめ直していただきました。

島薗進(右)
宗教学者。上智大学グリーフケア研究所所長をへて大正大学客員教授、東京大学名誉教授、NPO法人東京自由大学学長。宗教者災害支援連絡会代表。1948年生まれ。
西川勢二(左)
SeRV本部長。ユニベール財団、SeRV、宗教情報センター、NPOべルデ設立に携わる。2019年より真如苑教務長。1948年生まれ。
1. 真如苑のボランティアの始まり

島薗進先生(以下、島薗):
SeRVは1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに立ち上がり、支援活動を継続しておられますよね。まもなく30周年を迎えるわけですが、それ以前にも真如苑はボランティア活動をされていたのでしょうか?

西川勢二(以下、西川):
教団としては、昭和23年の福井地震のときには街頭で募金活動を行なって、被災地に支援物資をお届けしたと記録にはありますので、大々的な支援活動はそれが初めてだと思います。ちょうど私たちが生まれた頃ですね。
島薗:
以降も昭和34年の伊勢湾台風などの災害はいろいろありましたが、本格的にSeRVが立ち上がったのにはどんな経緯があったのでしょうか?
西川:
真如苑では毎年1月1日に元旦会(新年の法要)が行われます。阪神・淡路大震災が発災した1995年には、苑主が年頭の指針として、「信心をもって人と世に貢献する」と発表していたのですが、その直後に大地震が起きてしまいました。
関西圏を中心とした全国の教団職員や信者さんにとっても「他人事ではない」ということで、それぞれが年頭の指針を心に「何かできることはないか」と自主的に動き始めたものを組織化し、「真如苑救援ボランティア(Shinnyo-en Relief Volunteers;SeRV)」という名前をつけたのがSeRVの始まりでした。
万代院(芦屋市にある真如苑の拠点)も門が倒壊しましたが、幸いにも建物自体は無事だったので、被災者の方たちにシャワーを使っていただいたり水や物資を運び入れたりするなど、支援活動の拠点として活用することができました。


1995年1月17日 阪神・淡路大震災からSeRVのボランティア活動はスタートした
2. 宗教と支援の変遷
島薗:
福井地震での募金活動のお話が先ほどありましたが、大正12年の関東大震災のときに発行されていた宗教系の新聞を見ると、伝統仏教教団も災害があるとまずは募金、そして孤児の引き取りを行なっていたようです。
西川:
「宗教ボランティアの始まりは阪神・淡路大震災から」といったイメージが一般的にはありますが、じつは古くから行なわれていましたよね。
島薗:
大正時代まで遡ると、仏教界による社会福祉活動を日本に広めたとして知られるのが、浄土宗の渡辺海旭(かいきょく)という人でした。彼はドイツで見たキリスト教徒による労働者の更生保護活動を東京で試み、それが日本の都市におけるセツルメント活動(貧困地域の支援)の始まりとなりました。
明治時代の後半から大正、昭和の初期ぐらいまでは、孤児院、今でいう児童福祉施設を寺院や神社、キリスト教などの宗教界が担っていたのも知られています。ところがその後、第二次世界大戦が起こり、国家総動員体制が敷かれた時代ではあるものの、国が福祉を支えるよう体制が整ってきたため、宗教界はその役割を国に委ねました。
西川:
戦後にまた、災害の支援が新しい形で始まるということですね。

島薗:
昭和34年の伊勢湾台風での支援活動で大きく変化したと思います。それまでは主に募金が支援の中心でしたが、古着を送るなどの「物質的な支援」といいますか......生活の立て直しを支える支援が求められたのです。現在では災害支援の初動として行われているような活動ですよね。その後も、壊れた家財の整理やゴミ出し、掃除といった生活の立て直しを行う支援にと徐々に変化していきました。
そして今、「自己責任」という言葉が多く聞かれることからもわかるように、国や行政が福祉のすべてを担う時代が終わり、国や行政が支えきれない部分を宗教界が再び担う時代がきているわけです。そんななかで特に期待されているのは、私としては「心のケア」だと思います。
3. 宗教ボランティアと心のケア
島薗:
心のケアに関してはSeRVも設立当初から取り組まれてきたと思いますが、いかがでしょうか?

西川:
阪神・淡路大震災では「布教をしない」ということを前提に現地入りしたなか、「とにかく話を聞いてほしい」という被災者の方が非常に多かったので、傾聴のようなことをしつつ、「心のケアを取り組む必要があるのではないか」と早い段階から感じていました。ただ、当時はその要望に対しては行政や社会福祉協議会がボランティア団体をうまく仕切ることができず、特に宗教系のボランティアの扱いがわからなかったようです。
島薗:
阪神・淡路大震災から2か月後にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生したので、宗教団体によるボランティア活動がしにくくなってしまったということもあるかもしれませんね。
西川:
SeRV20周年の鼎談でも当時の担当者が話題にしていますが、被災された方々のお気持ちに寄り添うことを意識した行動が、自然と傾聴につながっていったのです。
ところが......「これはもっと話を聞くことが必要だ」と取り組みを進めようとしていた矢先に地下鉄サリン事件が発生し、宗教全般に対する強い不信感が社会に広がっていきました。
そこで、社会的信頼のもと客観性を持ち活動していたユニベール財団が母体となってボランティア組織を結成し、老人の孤独死が問題となりつつあった仮設住宅を訪問し始めたのが、傾聴をはじめとする心のケアの始まりです。ボランティアには訪問前にプロの指導を受けていただき、専門的なケアが必要な被災者に出会った場合は行政に知らせるなど、役割分担を明確にしました。財団での活動には様々なボランティアが参加されますし、当然、ここでも布教活動などは一切ございません。
島薗:
阪神・淡路大震災から「足湯」を行なうボランティア団体が出てきて、今では災害時の被災者ケアとして重要な位置を占めています。気持ちがほぐれて話したくなるという心のケア法として期待できますが、じつはボランティアをする側にとっては「こういうことをしてほしい」と被災者の要望を引き出すニーズ調査の意味合いもあるんですよね。真言宗のお坊さんたちが結成している「高野山足湯隊」なんかが有名ですが、SeRVも早い時期から行なっていたようですね。

足湯ボランティア
西川:
もうひとつ、トイレの問題もありました。トイレに行きたくても、排せつ物が山のようになっているトイレには入れず、肉体的にも精神的にも苦しむ方が多いのが実情でした。
真如苑は昭和47、8年ごろから公共の場所を清掃するボランティアを行なっていて......信者さんとしては自身の心を清める修行の一環としてやっているため、ボランティアや環境美化運動をやっているという意識ではないのですが、トイレ掃除のノウハウも蓄積されていました。それで、阪神・淡路大震災のときにもバスを一台用意して、避難所のトイレ清掃を行なうことにしたんです。これは当時のボランティアのなかでは特筆すべき活動だったと思います。現地の方たちにも「トイレ掃除をしていたボランティア」と認識されていましたから。
島薗:
日本では掃除と宗教の関係が深いです。一燈園がトイレ掃除の草分けですが、天理教も「全教一斉ひのきしんデー」という日があって、各地の公園や公共施設、海や川などでゴミを集める活動をしています。そういった日常の活動が自然と災害支援の現場でも活かされているのかもしれませんね。
ところで、伝統仏教の強みは追悼慰霊にあると思うのですが......阪神・淡路大震災後に建設された追悼施設で祈りを捧げるうえで、僧侶の方たちが大事な役割を担っていましたよね。新宗教のなかでも、真如苑は追悼慰霊が比較的重要なのではないでしょうか?

西川:
そうですね。阪神・淡路大震災のときには1月24日に大阪の悠音精舎に苑主が赴き、犠牲者の冥福を祈る法要を信徒とともに行いました。東日本大震災のときには火葬はしたけれど充分な葬儀ができなかった方が多く、それならば追悼の祈りをしっかりと込めた法儀をしましょうと信者さんを中心にご案内したら、信者ではない方たちからも多くの申し込みがありました。ほかにも、阪神淡路大震災の1.17追悼イベントで使うともしび用の竹を、真如苑の保有する青梅の杜(NPO法人ベルデ)から提供させていただくという間接的な支援は行なってきました。
同時に、ボランティアや災害支援に従事する信者さんに対してのケアは真如苑として取り組みました。ご遺体確認に立ち会う警察、身元確認をする歯科医師、生存者を捜索する自衛隊といった職業に就いている信者さんもおられるので、その心を支えるための取り組み(接心修行など)は、真如苑としてしっかりと行いたいと思いまして。
島薗:
多くの新宗教では専従職員と信徒が柔軟に協力し合える関係性があるからでしょうか、伝統仏教に比べていろんな職能をもつ人が集まりますね。阪神・淡路大震災の頃には、伝統宗派の僧侶に対して「宗教の専門家がボランティアをやるもんじゃない」と言う人もいたそうです。
そういった観点から言うと、新宗教のメリットは医療従事者をはじめ、ケア関連のいろんな職業に就いている信者さんがいて、そういった方々を巻き込みながら多面的な支援活動ができるということだと思います。しかも、初動が早い。能登半島地震のときも、発災直後から支援にとりかかるスピードが天理教やSeRVは特に早いなという印象を受けました。
西川:
たしかにSeRVも頑張っていますが、最近は、各団体も早期から立ち上がっている印象です。
島薗:
「いろいろな職能」という面では、8月に能登に行ったときは仮設住宅で散髪のボランティアをする人もいましたね。住民の方たちにとっては本当にありがたいことだと思います。珠洲ひのきしんセンターにも「山口県から来て、2週間滞在する」という水道工事の人がいたりと、いろんな職業の人たちが集まっていたのが印象的でした。
西川:
そうですね。先ほどお話した青梅の杜で活動するベルデは、東日本大震災のときには「津波で失われた日常を少しでも取り戻すお手伝いを」と、そこで伐採した木材で作ったまな板や下駄箱、簡易的な仏壇などを仮設住宅にお届けして、非常に喜んでいただけました。能登でもまな板をお届けして喜んでいただきました。
島薗:
東日本大震災では世界救世教や立正佼成会、鎌倉大仏高徳院などが宗教宗派を超えて協力して、建長寺に福島から子どもたちを招く保養プログラム「鎌倉で遊ぼう」を開催していましたね。外で自由に遊べない福島の子どもたちが鎌倉で海に入ったり、山で遊んだり、座禅をやってみたりと、いろんなプログラムを楽しんだようです。
保育士さんや看護師さん、教育関係者やゲームが得意な人など、いろんな方たちがボランティアでサポートに入っていたと聞いています。協力すると、こういった心のケアの可能性も広がるんです。
西川:
真如苑でも、青梅の杜や真如苑芝生広場、京都の流響院を使った保養プログラムを行い、非常に喜んでいただきました。存分に遊んでいただいたり、日ごろはなかなかできないおしゃべりに十分な時間を使っていただいたり。東日本大震災では、陸前高田で開催が危ぶまれていた鎮魂のお祭り(うごく七夕)の、再興のお手伝いなどもさせていただきましたが、こういった形でのケアもあるというのは、新たな発見でした。
